ホリショウのあれこれ文筆庫

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第808話 消えたパンプキン爆弾

序文・模擬原爆

                               堀口尚次

 

 パンプキン爆弾は、第二次世界大戦中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾。弾体が橙黄色(とうこうしょく)に塗装されていたことから「パンプキン」の名がある。長崎に投下された原子爆弾ファットマン」の模擬爆弾として知られ、日本では一般に模擬原爆と呼ばれている。

 正式名称は「1万ポンド軽筒爆弾」。ファットマンとほぼ同一の形状を有し、質量もファットマンとほぼ同一になるよう調整された模擬原爆で構造分類上での通常型爆弾のコードネームである。マンハッタン計画アメリカ・イギリス・カナダの原子爆弾開発製造のため科学者・技術者を総動員した計画〉に携わる、ロスアラモス研究所の科学者と兵士によって命名された。

 この爆弾は原爆投下に備えた爆撃機乗員訓練のためと、今までに例のない特殊な形状をしたファットマンが爆撃機〈原爆搭載が可能なように特別に改修したB-29〉から投下され爆発するまでの弾道特性・慣性能率等の様々な事前データ採取のために、いわば「模擬原爆」として製作された。

 しかし、それは同時にアメリカの原爆関係者にとって、リトルボーイ型原爆〈それまでに開発されたシンマンは形状こそ似ていても大きさも細部の形状も異なっていた〉は、基本的な技術データに欠け、事前にその形状を予測できなかったという不可解な状態にあった事を示唆していると言える。

 戦後、米戦略爆撃調査団はパンプキンに対して「当該爆弾が目標に直撃及び至近弾となった場合、目標に相当量の構造的被害を与える非常に合理的かつ効果的な兵器であった」との評価を下した報告書をまとめている。原爆投下より前の模擬投下は「フェーズI」として行われ、その後「フェーズII」として8月14日に愛知県の春日井市に4発、挙母町〈現豊田市〉に3発投下され、トヨタ自動車工業の工場などが被災している。これは戦後にこの爆弾を使用して効果が得られるかどうかのテストとして行われたもので、有効な兵器とされたが生産コストに見合わないとして不採用とされた。そのため、テニアン島に残っていた66発のパンプキン爆弾はその場で海に沈められ破棄された。爆弾の破棄には機密保持の意味もあったとされる