序文・パンドラの箱を開けてしまった
堀口尚次
J・ロバート・オッペンハイマー〈1904年 - 1967年〉は、アメリカ合衆国の理論物理学者。
理論物理学の広範な領域にわたって大きな業績を上げた。特に第二次世界大戦中のロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導し、卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発の指導者的役割を果たしたため、「原爆の父」として知られる。
第二次世界大戦が勃発すると、1942年には原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画が開始される。1943年、オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導した。彼らのグループは世界で最初の原爆を開発し、ニューメキシコでの核実験〈『トリニティ実験』と呼ばれている〉の後、大日本帝国の広島市・長崎市に投下されることになった。両市への原爆投下後、トルーマン大統領に会見したオッペンハイマーは「私の手は血塗られています」と告げたとされる。
弟のフランクが、後日ドキュメンタリー映画『The day after Trinity』の中で、ロバートは現実世界では使うことのできない〈ほど強力な〉兵器を見せて、戦争を無意味にしようと考えていた。しかし人々は新兵器の破壊力を目の当たりにしても、それまでの通常兵器と同じように扱ってしまったと、絶望していたと語っている。また、戦後原爆の使用に関して「科学者〈物理学者〉は罪を知った」との言葉を残している。
オッペンハイマーは後年、古代インドの聖典『バガヴァッド・ギター』の一節、ヴィシュヌ神の化身クリシュナが自らの任務を完遂すべく、闘いに消極的な王子アルジュナを説得するために恐ろしい姿に変身し「我は死神なり、世界の破壊者なり」と語った部分〈11章32節〉を引用してクリシュナを自分自身に重ね、核兵器開発を主導したことを後悔していることを吐露している。
オッペンハイマーは、原爆の破壊力や人道的影響、論理的問題に関心をもち、核兵器は人類にとって巨大な脅威であり、人類の自滅をもたらすと考えた。
後年オッペンハイマーは、ソ連のスパイ疑惑が持たれ私生活も常にFBIの監視下におかれるなど生涯にわたって抑圧され続けた。