ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1017話 「暁に祈る」事件

序文・シベリア抑留リンチ事件

                               堀口尚次

 

 「暁に祈る事件は、第二次世界大戦終結後の1940年代後半、ソ連軍によるシベリア抑留の収容所において、日本人捕虜の間で起きたとされるリンチ事件。リンチの指示を行ったとされる人物が、日本への帰国後に逮捕・起訴されて有罪判決を受けたが、本人は冤罪であると主張していた。

 モンゴル人民共和国ウランバートル収容所において、元日本軍憲兵曹長であった池田重善〈収容所内では「吉村久佳」の変名を名乗っていた〉が日本人捕虜内のゴロツキらを懐柔して自身の取り巻きとし、自分であればノルマの2割増しの成果を挙げることが出来ると、ソ連収容所側に自身を売り込み、日本人捕虜の隊長に任じられ、十分な作業成果を果たせなかった隊員にはリンチを加え、その結果として多数の隊員を死亡させていたといわれた。この「暁に祈る」とは、そこで加えられた、木に一晩中縛り付けられるリンチに対して隊員らによって付けられた名で、縛り付けられて凍死ないし瀕死となった隊員が明け方になるころ首がうなだれ、「暁に祈る」ように見えたことによるものとされる〈収容所で行われた演芸会で、ある者がこれを風刺する劇を行ったことから広まったという。〉

 GHQ占領下で日本の主権・外交権回復前のことであり、既に冷戦下の東西対立も激化しており、共産圏のモンゴル人民共和国でおこったことであり、現地調査や物的証拠の収集は事実上不可能であろうとの見方が支配的であった。1949年4月からは新刑事訴訟法が施行されることが決まっていて、従来の予審で事実関係を詰めるやり方が出来なくなっており、一方で、旧刑事訴訟法の時代も証拠の自由心証主義を定めてはいたものの、「自白は証拠の王」とする従来の感覚は実際には根強く残っていた。当時の新聞を見ても、本人が収容所の命令として、自身の勝手な処分であることを否定する以上は立件は困難ではないかという見方も強かった。また、国外での事件であるため、裁判管轄権の問題や、収容所の命令であれば本人の責任を問えるのかといった法律問題も指摘されていた。結局、証言者らは、殺人罪ではなく致死罪で告発したが、これは新法で起訴を検察官の裁量に委ねる起訴便宜主義に変わっていたため、証拠収集や自白を得ることが困難である以上、確実に検察官に受理してもらうことを優先せざるを得なかったとみられる。