ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1016話 列車から転落した宮城道雄

序文・謎の転落死

                               堀口尚次

 

 宮城道雄明治27年 - 昭和31年〉は、日本の作曲家・筝曲家である。兵庫県神戸市生まれ。旧姓は菅(すが)。十七絃の開発者としても知られる。大検校(けんぎょう)〈盲人の最高位〉であったため、広く『宮城検校』と呼ばれた。

 明治27年に菅国治郎とアサの長男として兵庫県神戸市三宮の居留地内で生まれる。生後200日頃から眼病を患い、また4歳の頃に母と離別して祖母ミネのもとで育てられた。7歳の頃に失明。以降、生涯において咽頭炎など発病の際に折に触れて眼痛を訴えることがあったが、この失明が転機となり音楽の道を志す

 昭和31年6月25日未明、大阪での公演へ向かうため、下りの夜行寝台急行列車「銀河」に付き添いの内弟子牧瀬喜代子とともに乗車中、午前3時頃、愛知県刈谷市刈谷駅手前で客車ドアから車外に転落した。午前3時半頃現場を通りかかった貨物列車の乗務員から〝三河線ガードのあたりで線路際に人のようなものを見た〟という通報を受け現場に向かった刈谷駅の職員に救助され豊田病院へと搬送されたが、午前7時15分に病院で死亡が確認された。救助時点ではまだ意識があり、自らの名前を漢字の説明まで入れて辛うじて名乗ったと伝えられる。

 道雄の死については、寝ぼけてトイレのドアと乗降口を間違えたなどの推測や、一方では自殺も噂されたが、どれも推測や憶測にとどまり事故の真相は不明である。周囲の人物評では、内田百閒(ひゃっけん)〈小説家〉が道雄の行動を常々観察して「カンの悪い盲人」と評しており、高峰秀子もまたこの訃報を新聞で知ったときに、ただちに「宮城先生は誤ってデッキから落ちられたのだ」と思ったという。実際に道雄は晩年自宅内で転倒して片方の眼球を痛め、眼球摘出手術を受けるという事故を経験しており〈その後は義眼を入れていた〉、視覚障害者としては歩行感覚が鋭敏でなかったことをうかがわせる。

 「春の海は、日本の筝曲家であり作曲家の宮城道雄が作曲した筝曲。箏と尺八の二重奏である。新日本音楽を代表する楽曲である。日本では、小学校における音楽の観賞用教材として指定されているほか、特に正月には、テレビ・ラジオ番組や商業施設等でBGMとして使用されているため、今日では正月をイメージする代表的な曲の一つとして知られている。

                  ※筆者撮影