ホリショウのあれこれ文筆庫

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第965話 松雲院に伝わる「恩田の初蓮」

序文・殿様を化かした白狐

                               堀口尚次

 

 松雲院(しょううんいん)は、愛知県刈谷市恩田(おんだ)町3丁目151-8にある曹洞宗の寺院。山号は医王山。本尊は文殊菩薩

 三河国額田郡柿平村〈現在の愛知県岡崎市〉にいた恩田弥兵治郎源清信は、碧海郡小山村林之内〈現在の刈谷市〉に出張陣屋を建てた。貞治4年頃、足利義詮(よしあきら)〈足利尊氏の三男・源義詮〉に攻撃されて領地を占領され、恩田弥兵治郎源清信もまた戦死した。この際、恩田弥兵治郎源清信の二男は美濃国〈現在の岐阜県〉に逃げ、三男は額田郡柿平村に帰った。

 恩田家の家臣である高木玄信は小山村に留まり、主君の菩提のために私邸を仏堂とし、行基の作とされる薬師如来を安置したのが創始とされる。高木玄信はこの際に出家している。今日の恩田町という地名は恩田弥兵治郎源清信に由来する。

 松雲院には「恩田の初蓮」という伝承が知られている。境内には初蓮を祀る恩田稲荷尊天がある。

 かつて松雲院の裏山には初蓮と呼ばれる白狐が暮らしていた。松雲院の正道幽石和尚は眼病だったことから、加茂郡福田村〈現在のみよし市〉の眼科医である酒井氏に見てもらっていた。ある時には初蓮が正道幽石和尚の目薬を勝手に持って帰ってしまったことがあったが、正道幽石和尚は初蓮を叱らなかった。

 刈谷藩主の三浦氏は鷹狩の際に松雲院に立ち寄ることが多く、供の者が初蓮の子狐をいじめたことがあった。このため初蓮は三浦氏をうらみ、三浦氏が奥州から輿入れを迎える際には、初蓮が姫に成りすまして刈谷城に乗り込んだ。初蓮が床入りの前に湯殿にいたところ、不審に思った家老が初蓮に気づいて切りつけ、初蓮恩田に帰っていった。この不祥事の結果、三浦氏は減封と共に国替えとなった。正道幽石和尚は初蓮を強く叱った結果、初蓮恩田にいられなくなり、「恩田ばかりに日は照りゃすまい 箱根日も照る雨も降る」と言い残して箱根に去っていった。

私見】この伝承は、テレビ番組の「まんが日本昔ばなし・恩田の初蓮」でもとりあげられている。また、中日新聞に「あいちの民話を訪ねて・恩田の初蓮」として掲載されたこともある。筆者は過日、松雲院を訪れ「恩田稲荷尊天」をお参りし、子想いの白狐・初蓮を偲んだ。