ホリショウのあれこれ文筆庫

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第991話 刈谷に残る「牛石」伝説

序文・薬師如来のつかい

                               堀口尚次

 

 愛知県刈谷市の松雲院の墓地片隅に「牛石(うしいし)」伝説の碑と「頭と胴といわれる二つの石」が残る。元々は少し北西の薬師堂境内にあったが、薬師堂廃止と共にこちらに移されたようだ。

 西三河知多半島北東地区近辺の昔話を収録した「昔話・天狗火」という書籍に、刈谷の昔話として「牛石」が紹介されている。

『むかし、諸国をめぐり歩いていた一人の修験者が、小山村〈現在の刈谷市小山町〉にやってきました。ちょっと一休みしようと、背負っていた薬師如来を納めた笈(おい)を、石の上に下ろしました。しばらく休んで、草鞋(わらじ)をしめなおし、さて出掛けようと、笈をもちあげようとすると、どうしたことか、笈が石にくついてしまったように、どうしてももち上げることが出来ません。「不思議なことがあるものだ」修験者は石のまわりをぐるぐる回っていましたが、「これはきっと、薬師如来さまが、この土地の人々をお救いなされるおぼしめしにちがいない」と思い、お堂をたてて、おもいりするようになりました。ことろがそののち、村の中を、何処からきたのか誰も知らない一頭の牛の姿を見かけることがありました。「わたしも見た」「おれも見た」村では、誰いうことなく評判になりました。どこの牛であるのか、誰にもわかりません。あるとき、牛を見つけた一人の若者が、牛の尻を棒切れでたたきました。すると、牛はふっと消えてしまい、そこには石のかけらが落ちていました。石のかけらは、薬師堂の前の石がかけたところにぴったりと合っていました。薬師堂の石が、牛になって村を歩いていたと、評判はますます高くなりましたが、それから誰もその牛を見かけた者はいませんでした。村人は薬師如来のお使い牛ではなかったかといい、牛石とよんであがめました。』

私見】牛と石〈岩〉にまつわる伝説は、全国各地に沢山あるようだ。中でも有名なのが、大宰府に左遷された菅原道真の遺骸を牛車(ぎっしゃ)で運ぶ途中で、牛が座り込んで動かなくなったため、その場所に埋葬したという逸話だ。道真を祀る天神様に牛の像があるのはこのことに由来するそうだ。今回紹介したの伝説では、薬師如来のつかいということだが、日本人と牛との関わりは昔からあり、農耕には欠かせない家畜だったことが伺える。近世となってからは「牛肉・牛乳」と食生活に欠かせない。やはり人間と牛は切っても切れないご縁なのだ。

※筆者撮影