ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1015話 日本のエジソン「加藤与五郎」

序文・カセットテープの生みの親

                               堀口尚次

 

 加藤与五郎〈明治5年-昭和42年〉は、日本の化学者・工学者・理学博士・東京工業大学名誉教授・文化功労者軽井沢町名誉町民・刈谷市名誉市民。「フィライトの父」や「日本のエジソン」などと呼ばれる。

 明治5年、愛知県碧海郡野田村〈後の碧海郡依佐美(よさみ)村、現:刈谷市野田町西屋敷〉の農家に生まれた。父親は加藤惣吉、母親はこう。8歳の時に母親がチフスで死去している。依佐美村立野田高等小学校を卒業し、明治23年に野田小学校の代用教員となると、中学校の教師を志して英語と数学を独学で勉強した。明治24年同志社ハリス理科学校普通部に入学すると、明治25年には同志社ハリス理化学校大学部第二種化学科に進み、明治28年同志社ハリス理化学校を卒業した。

 明治39年には東京高等工業学校の教授に就任した。明治44年にはコロイド化学の研究によって理学博士の学位を受けている。大正元年には応用化学科から電気化学科が独立し、加藤は電気化学科長に就任した。大正6年には中村化学研究所を創立した。同年には東北電化株式会社がフェロアロイの生産を拡大させており、東北電化は大正11年に解散したものの、製造技術は鉄興社に引き継がれた。昭和4年に東京高等工業学校が大学に昇格して東京工業大学となると、電気化学科の主任教授に就任した。東京工業大学在職中には約300件の特許を取得しており、特に「フェライト磁石」〈酸化金属磁石〉、「フェライト製コア」〈酸化金属磁心〉、「アルミナ」〈酸化アルミニュウム〉が加藤の三大発明とされる。

 57歳だった昭和4年にはフェライトの研究を開始し、昭和5年に発表したフェライトの論文は全世界に大きな影響を与えたフェライトコンパクトカセット〈カセットテープなどの磁性記録や高周波回路の基礎となっている昭和8年には電気化学協会の初代会長に就任し、昭和9年には東京工業大学建築材料研究所の初代所長に就任した。昭和10年には齋藤健三によって、フェライトの工業化を目的とする東京電気化学工業株式会社〈現:TDK〉が設立された。

 菩提寺刈谷市野田町にある昌福寺。生家跡には刈谷市によって小公園「加藤与五郎生家跡」が整備され、毎年秋には加藤の顕彰祭が行われている。

                  ※筆者撮影