ホリショウのあれこれ文筆庫

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第775話 朝鮮の虎・小礒國昭

序文・獄中で記した自叙伝

                               堀口尚次

 

 小磯國昭明治13年 - 昭和25年は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功究は功二級。山形県士族。山形県新庄市出身。

 陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官を歴任後、予備役に編入された。その後平沼内閣と米内内閣で拓務大臣〈植民地の当地事務監督〉、朝鮮総督〈第8代〉を務め、太平洋戦争中にサイパン陥落を受け辞職した東条英機の後継として昭和19年内閣総理大臣に就任した〈小磯内閣〉。悪化の一途をたどる戦局の挽回を果たせず、中華民国との単独和平交渉も頓挫し、小磯は昭和20年4月に辞任し鈴木貫太郎に後を譲った。

 太平洋戦争開戦後の昭和17年朝鮮総督に就任し、「内鮮一帯」をスローガンに前任者の南次郎総督が行った皇民化政策をよりいっそう押し進めた。小磯は朝鮮人官吏の登用、朝鮮人企業の推進、朝鮮人の政治関与の実現などを掲げ、昭和18年8月1日には総督府統治下の朝鮮にも徴兵制度を施行した。戦後、朝鮮が独立したと聞いた小磯は「今更、朝鮮の独立を夢みるのは九州や、北海道が独立を企図すると同じで馬鹿げた意味のないこと」と否定的だった。

 1945年11月19日、連合国軍最高司令官総司令部は、日本政府に対し小磯ら11人を戦争犯罪人として逮捕し、巣鴨刑務所に拘禁するよう命令した。小磯には「朝鮮の虎」とのアダ名が付けられていた。予審検事による尋問の中で検事が「将軍は、朝鮮のトラと呼ばれている。トラは侵略的ないきものである。その理由をお答え願いたい」と質問した。これに対し小磯は「たぶん、歴代の朝鮮総督のうち、ご覧のとおり私が一番の醜男だ。この顔がトラに似ているからでは」と答えた。その場で速記を取っていた女性速記者が笑い出し、検事も「よく分かった」と了解した。

 昭和23年に極東国際軍事裁判で終身禁錮刑となり、昭和25年に巣鴨拘置所内で食道癌により死去した。享年70。小磯自身が自らの生涯を書き記した自叙伝がある。この自叙伝は、巣鴨拘置所の獄中で記したもので、極東軍事裁判において唯一容疑者の無罪を主張した、インドのパール判事の意見書の紙裏を原稿用紙としたものだった。