ホリショウのあれこれ文筆庫

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第488話 座頭

序文・かつての障害者差別の名残

                               堀口尚次

 

 座頭(ざとう)は、江戸期における盲人の階級の一つ。またこれより転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられた。今日のような社会保障制度が整備されていなかった江戸時代、幕府障害者保護政策として職能組合「」を基に身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、障害者の経済的自立を図ろうとした。元々は平曲(へいきょく)〈語りもの〉を演奏する琵琶法師の称号として呼ばれた「検校(けんぎょう)」「別当」「勾当(こうとう)」「座頭」に由来する。

 古来、琵琶法師には盲目の人々が多かったが、『平家物語』を語る職業人として鎌倉時代頃から「当道座(とうどうざ)」と言われる団体を形作るようになり、それは権威としても互助組織としても、彼らの座〈組合〉として機能した。その中で定められていた集団規則によれば、彼らは検校、別当、勾当、座頭の四つの位階に、細かくは73の段階に分けられていたという。これらの官位段階は、当道座に属し職分に励んで、申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得ることができたが、大変に年月がかかり、一生かかっても検校まで進めないほどだった。金銀によって早期に官位を取得することもできた。

 江戸時代に入ると当道座は盲人団体として幕府の公認と保護を受けるようになった。この頃には平曲は次第に下火になり、それに加え地歌三味線、筝曲、胡弓等の演奏家、作曲家や、鍼灸、按摩が当道座の主要な職分となった。結果としてこのような盲人保護政策が、江戸時代の音楽や鍼灸医学の発展の重要な要素になったと言える。また座頭相撲など見せ物に就く者たちもいたり、元禄頃から官位昇格費用の取得を容易にするために高利の金貸しが公認されたので、悪辣(あくらつ)な金融業者となる者もいた。当道に対する保護は、明治元年で廃止。

 明治維新後、盲人に対する制度的優遇措置は改められることになり、明治4年太政官公布第568号「盲人ノ官職自今被廃候事」で盲人の官職は廃止され、検校を頂点とした盲人間での階層支配機構も廃絶、盲人は当道座に縛られることなく職業選択が可能となった。これにより当道座や検校等の位も廃止され、公的な特権性は失われた。当道座廃止以降も筝曲家・宮城道雄のように「検校」の称で呼ばれた盲人は存在するが、これらは当道音楽会などの箏曲団体が設けている資格的な呼称。因みに座頭市は、盲目の侠客で座頭の市(いち)とう名前の人。