ホリショウのあれこれ文筆庫

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第862話 B-29を撃墜した「月光」

序文・斜銃の発想

                               堀口尚次

 

 月光は、日本海軍の夜間戦闘機〈視界の悪い夜間に活動するための装備・能力を持った戦闘機〉。装備された斜銃(しゃじゅう)とは、機軸に対して上方または下方に30度前後の仰角を付けて装備された航空機銃である。利点は敵重爆撃機の弱点(後ろ下方からの攻撃に弱い)に対し攻撃占位運動が容易であること、攻撃態勢保持時間が長いことが挙げられる。この斜銃により、主にB-29などの重爆撃機邀撃(ようげき)〈迎え撃つ〉任務で活躍した

 1942年5月6月頃、第251海軍航空隊司令小園安名中佐は、撃墜が困難な大型爆撃機B-17に悩まされて、その対策が急務となっていた。小園は機銃を機体下に斜めに装備すれば、敵銃座の狙いにくい上方からB-17を攻撃できると考え付いた。1938年に日本海軍において九六式陸上攻撃機の機体下部に九九式二〇ミリ機銃を装着し地上を掃射するという実験が行われており、その実験で機体下部に搭載した機銃による地上掃射の有効性が実証されていたが、251海軍航空隊の搭乗員らの意見も聞いた小園は、目標が地上ではなく飛行する航空機の場合は機銃を機体下部ではなく上部に斜めに装備すれば、死角となる下方から迫って平行に飛行しながら一方的に攻撃ができるので、敵の意表をつくことができて、より効果が高くなるという考えに至った。

 1942年11月に小園は内地に帰り、海軍航空技術廠(しょう)に自らが考案した斜銃を敵大型爆撃機への有力な対策であると主張したが、担当者は「実験する価値もない」と一笑に付した。小園はあきらめず軍令部にも直談判したが、航空参謀の源田実中佐も否定的であった。そんなときに、小園は二式陸上偵察機の試作機「十三試双発陸上戦闘機」が3機ほど飛行可能な状態で残っていること知って、試作機の改造を申し出、航空本部も放置している試作機であればと斜銃搭載に改造を承認、突貫工事で3機の十三試双発陸上戦闘機の斜銃搭載型が完成した。

 月光の登場により、一時はB-17やB-24によるラバウルへの夜間爆撃を押さえ込むことに成功した。遠藤は月光B-29を16機撃墜破し「B-29撃墜王」と呼ばれた。日本海軍は月光に代わる有力な後継機を揃えることができず、終戦まで月光は日本海軍の主力夜間戦闘機として活躍することとなった。