ホリショウのあれこれ文筆庫

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第258話 古代ロマン旅路の思い出

序文・遠い記憶に埋もれて

                               堀口尚次

 

 私は1970年代後半に、中学の卒業記念がてらに、友人と二人で奈良県の明日香村へ古代ロマン探訪の日帰り旅に出かけた。坊主頭の中学生二人の珍道中だったが、なぜ明日香村への古代歴史探訪だったのだろうか?今となっては思い出せない。その時の同行した友人も一昨年に他界してしまったので、探訪計画は永遠の謎となってしまった。今回は、友人を偲びながら思い出してみる。

 高松塚古墳は、奈良県高市郡明日香村〈国営飛鳥歴史公園内〉に存在する古墳。藤原京期に築造された終末期古墳で、直径23m〈下段〉及び18m〈上段〉、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。土産物屋で購入した「高松塚古墳壁画・西壁女子群像」のレプリカ・パネルは、今も私の実家に飾ってある。

 石舞台古墳も、明日香村にある古墳時代後期のもの。国の特別史跡に指定されている。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。石舞台を背にそれぞれが写真を撮ったが、自分の写っているものは持っているが、友人を写したものが見当たらない。捨てるわけはないので友人にあげたのだろうが今となっては確認が取れない。

 飛鳥(あすか)寺も、明日香村にある真言宗豊山(ぶざん)派の寺院。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来飛鳥寺の記憶はないが、飛鳥大仏の記憶だけが残っている。

 亀石も、明日香村にある亀の形をした遺構で、伝説によると、奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻(たいま)のヘビと川原のナマズの争いの結果前者が勝ち、水を吸い取られた結果、干上がってしまい、湖のカメはみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って供養をしたという。

 以上の四か所〈高松塚古墳・石舞台・飛鳥大仏・亀石〉が記憶に残っている。出発点の地元の私鉄駅でも待ち合わせから行き違いがありトラブル発進の旅路だったが、「初春の奈良明日香村の古代ロマン探訪」とは中学生坊主コンビとしては粋な企画だったなあと感心する。そういえば、同行の友人から届いた古い年賀状に、この旅のことが書かれていたことも思い出した。彼の思い出と共に、明日香村の古代ロマン探訪の思い出は、私の記憶の一頁にしまっておこう。

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