ホリショウのあれこれ文筆庫

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第523話 知多半島の烽火台

序文・黒船対策の遺構

                               堀口尚次

 

 烽火(のろし)とは、物を焼くことで煙を上げ、それを離れたところから確認することによって、情報を伝達する手段である。夜間など煙が見えない場合は、火そのものも使われる。狼煙(のろし)とも書く。特長としては、人や馬が手紙を運ぶよりも遠距離を高速に情報伝達できる、リレーによって距離も延ばすことができるなどである。欠点としては、天候に影響される、基本的に煙の有無だけなので、伝えられる情報量が少ないなどが挙げられる。また、燃やす物によって、煙の色を変えられるため、煙の色の組み合わせや燃やす順序次第で、複数の意図を伝えられる場合もある。

 愛知県の知多半島の中程に位置する阿久比町にある緒川(おがわ)新田の高根山は、知多半島北部では一番高い山で、標高83.1mである。

 江戸時代の享保十八年八月、第十七代の尾張藩主・徳川宗春は、知多半島を巡視した際に、緒川村に数日滞在した。その時、見晴らしのいい高根山から名古屋城が眺められるのがすっかり気に入り「望城が丘」と名付けたと言われている。

 江戸時代の末期に鎖国政策をとる幕府は「異国船内払令」を発令し、各藩に海岸警備の強化を求めた。外国の船が日本近海に現れ、開港を迫るようになると、尾張藩でも海岸警備を固める目的で、知多半島先端の師崎から順に大井→布土(ふっと)→長尾山→亀崎→緒川→大高の各所に「烽火台作らせた。名古屋城尾張藩庁〉まで急を知らせる手筈を取ったのだ。 

 高根山の「緒川烽火台は、知多半島に於ける亀崎烽火台と大高烽火台の中継を目的に設置された。師崎で異国船を発見した場合、最終的に熱田→名古屋城二之丸・評定所へ注進することになっていた。同時に早飛脚を走らせる為、大井→矢梨→河和→布土→大足→成岩→乙川→藤江→緒川→大府→大高→熱田に早飛脚継場も置かれた。

 知多半島先端の南知多町にある「大井烽火台跡」は、全国で唯一現存する遺構である。

 その他の烽火台跡は、公園、住宅等に変わり、遺構はない。緒川烽火台跡は近くの公園に石碑が建つ。