ホリショウのあれこれ文筆庫

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第690話 巴紋

序文・太鼓のイメージ

                               堀口尚次

 

 巴(ともえ)は、コンマあるいは勾玉(まがたま)のような形をした日本の伝統的な文様の一つ、または、巴を使った紋の総称。巴紋(ともえもん)ともいう。家紋や神紋・寺紋等の紋としても用いられ、太鼓、軒丸瓦(のきまるがわら)などにも描かれる。「ともえ〈ともゑ〉」の起りには、弓を射る時に使う鞆(とも)を図案化したもので、もとは鞆絵であるという説、勾玉を図案化したものであるなどの説がある。

 その後、水が渦を巻くさまとも解釈されるようになり、本来、中国では人が腹ばいになる姿を現す象形文字という漢字が、形の類似から当てられた。水に関する模様であることから、平安末期の建物に葺かれた軒丸瓦などに火災除けとして、巴紋を施した。後には特に武神である八幡神の神紋として巴紋〈特に三つ巴〉が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋が神紋として用いられるようになった。

 単独の巴という紋はなく、数・形状・向き、などにより多くの種類が紋として作られ、用いられてきた。1つから3つの巴を円形に配し、それぞれ 一つ巴(どもえ)、二つ巴、三つ巴と言う。ほかに「九曜(くよう)」の配置に三つ巴を9つ並べた「九曜巴」〈板倉巴〉、三つ巴の内側輪郭のみを残した「抜け巴」、尾の長い「尾長三つ巴」などがある。「三つ巴」という言葉は、3つの勢力が拮抗し、鼎立(ていりつ)している様子という意味にも用いられる。また、巴紋そのものではなく異なる種類の紋において、例えば、藤紋の「一つ藤巴」のように渦を巻くように配置されたものを「 - 巴」などと呼ぶものもある。

 家紋における巴紋の左右呼称問題は長い間、家紋研究において最大の論点である。巴紋には細い部分〈仮に尾〉から円い部分〈仮に頭〉に至る進行方向が時計回りのものと、その逆の反時計回りのものがあり、用法などにおいて区別がされることも多い。家紋に関する現在の著書などではそれらに右と左の名を与えた名称が用いられるがそれがどちら向きのものを意味するかは時代や文献などにもより、必ずしも一定していない。

 家紋を描く上絵師は、その技法上の理由から尾が流れてゆく方向に従って名称としており、簡単な見分け方として親指を外に出して拳を握った時、左巴は左手の親指が指し示す方向、右巴は右手の親指が指し示す方向を参考とする。歴史的にはこの使用例が多い。

忠臣蔵の討ち入りで、大石内蔵助が「ダンダラの中に黒右二つ巴赤穂大石氏家紋」が描かれた薄い平太鼓山鹿流陣太鼓〉を叩いている。

②「巴そろばん」トモエ算盤株式会社〈トモエそろばん〉は、大正9年創業の日本のそろばんトップメーカー。大正9年、先代社長・藤本勇治が同社の前身を設立。それに先立つ大正7年、現在の商標を登録しているが、これは藤本家の家紋の「三つ巴」をそのまま社章としたもの。

③柔道の「巴投」起倒流嘉納治五郎からは丸(まん)投(なげ)と呼ばれていた。浮腰と並ぶ嘉納の得意技であり、「巴投」という技名は嘉納が「形が二つのに似ているから」との理由で名付けたとされる。