ホリショウのあれこれ文筆庫

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第691話 青海入道の逸話

序文・池田輝政の家来

                               堀口尚次

 

 真田十勇士は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、講談で親しまれた真田幸村〈史実では真田信繁〉に仕えたとされる10人の家臣からなるキャラクターである。あくまで伝承上の架空の人物であるが、歴史的な由来を持つ人物もいる。三好清海入道は、弟の伊佐入道と兄弟で真田幸村に仕える僧体の豪傑である。出羽国亀田の領主出身で、遠戚に当たる真田家を頼って仕えたという。『真田三代記』でも亀田の領主と設定されており、兄弟共に非常に高齢。大坂夏の陣で兄弟共に戦没しているとされる。

 筆者の地元愛知県東海市に木田城跡があるが、ここは若き日の池田輝政の居城と伝わる。城跡近くの観福寺には、池田輝政の家来で渡内村〈東海市荒尾町〉出身の深谷助左衛門という怪力男がいたという伝説が伝わり、後に青海入道と名乗っているという。寺の案内文によると『東海市荒尾町平島は細井平洲先生の出生地として知られていますが、現在の姫路城を築いた池田輝政もこの地の出身とされています。彼は少年時代、當地の荒尾家を継いで、木田城に住んだといいます。信長、秀吉に仕えて戦功をたて、さらに、家康に従って関ケ原の戦いでも功をあげ播州兵庫県〉姫路城の殿様となった人です。輝政は質実剛健を旨として家来にも親しまれたといいますが、その家来の一人に渡内出身の深谷助左衛門というさむらいがいました。大男で力が強く信仰心のあつい人でまたの名を青海入道といいました。「観福寺に願をかけなさって千人力を授けられたんだと」「ほうあの力持ちの入道さまが。その上にのお」「それにしても、さっきのえらい音はなんだや」「それがだ千人力では歩いただけであの音だ。これはちとえらすぎると、いま百人力にしてもらっとるそうな」「ほう。おら、また地震かと思ったぞ」そんなことをがやがや話していると「ずしんずしん」こんどはさっきよりいくらか小さくなって地ひびきが近づいてきました「青海入道さまのお通りだぞ」村人たちが息をこらして見守る前を祈願を終えた青海入道が通りかかります。「みなの衆、騒がせたのお」そういって彼は三十六貫もある鉄棒をまるで杖のように軽軽とついて歩くのです。』とある。

 池田輝政の家来として戦い、年老いてから今の東海市に帰郷し、観福寺に鎧兜を奉納したという。その鎧兜も本堂に展示してある。講談で名高い三好青海入道と深谷助左衛門がどこで同一人物になってしまったのか?!歴史ロマン