ホリショウのあれこれ文筆庫

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第898話 熊野牛王符

序文・神札が誓約書に

                               堀口尚次

 

 熊野牛王符(ごおうふ)は、熊野三山で配布される特殊な神札。「烏牛王」「おからすさん」などと呼ばれる。一般的な神札と違って一枚ものの和紙の上に墨と木版で手刷りされ、朱印を押したもので、意匠〈デザイン〉には多くの烏(からす)が用いられる。                 

 一般的な護符としての利用法と、起請文〈誓約書〉として用いる方法がある。一般的な護符としての利用法として、かまどの上に祀り火難除けとする・門口に祀り盗難除けとする・懐中に入れ船酔い飛行機酔いなどを防ぐ・病人の床に敷き病気平癒を祈願する、などがある。

 誓約書としての利用法として、牛王符の裏面に起請文を書く。こうすると誓約の内容を熊野権現に対して誓ったことになり、誓約を破ると熊野権現の使いであるカラスが一羽〈一説に三羽〉死に、約束を破った本人も血を吐いて死に、地獄に落ちると信じられた。起請文としての牛王符を「熊野誓紙」と言った。火起請(ひぎしょう)では手に牛王宝印を広げ、その上から鉄火棒を持った。こうすることで、正しい者は熊野権現から灼熱に護られると信じられた。

 起源は明確でなく、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と天照大神(あまてらすおおみかみ)の誓約に起源を持つとか、桓武東征の際、熊野烏の助けを受けたなどの故事に由来するとなどと言われている。また、「牛王」「牛玉」とは「最上のもの」の意とも説明されるが、これらを「ごおう」と読むのは、漢方薬の牛黄(ごおう)を朱印の材料に使ったという説がある。

 戦国時代になると、大名同士の誓約に牛王符が用いられるようになった。豊臣秀吉の臨終が近くなったとき、徳川家康をはじめとする五大老五奉行に「熊野牛王符」に起請文を書かせ、ここに豊臣秀頼に対する忠誠を誓約させている。             

 江戸時代になると遊女が客との間で熊野誓紙を取り交わし、擬似的な結婚をすることが流行したという。もっとも、客をたくさん取るために誓紙を乱発した遊女もいたと見えて、上方古典落語三枚起請ではそれがばれて起きるドタバタをおちょくっている。赤穂浪士も討ち入りを前に熊野牛王符に誓約したとされる。高杉晋作が作ったとされる都都逸(どどいつ)、「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」は熊野牛王符にまつわる伝説を念頭に作られたと考えられている。