ホリショウのあれこれ文筆庫

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第899話 明治期の政府転覆未遂事件

序文・自由民権運動の嵐

                               堀口尚次

 

 名古屋事件は、明治17年12月、加波山(かばさん)事件後解党していた旧自由党の党員が起こした政府転覆未遂事件。平田橋事件ともいわれる。

 名古屋の自由党員の組織であった「公道協会」の会員らを中心として、軍資金調達のために富豪からの強盗・紙幣偽造が企てられた。これは政府転覆計画を実行に移すための資金であった。強盗は実際に実行犯20人により、50数回ほど実行に移された。明治17年8月、愛知県西春日井郡〈現名古屋市西区〉の平田橋付近において、警邏(けいら)中だった巡査と実行犯らが遭遇し、この巡査2人を殺害する事件を起こす。

 この事件には、当時名古屋来遊中であった社会運動家も関与している。また、同年12月、同県知多郡長村〈現大府市〉役場において、国税を奪う事件を引き起こしている。この2事件により、10月以降実行犯らが次々と検挙されることとなった。3名が死刑、20名が無期懲役など〈うち、7名が無期徒刑、16名が有期徒刑〉に処された。ただし、彼らは政府転覆を企てた罪ではなく、単なる強盗犯・殺人犯として処罰された。明治30年に特赦が行われた。

 加波山事件は、明治17年9月23日に発生した栃木県令等の暗殺未遂事件自由民権運動激化事件の一つであり、急進的な考えを抱いた若き民権家たちが起こした。福島事件〈自由民権運動のなかで明治15年に県令・三島通庸会津三法道路工事事業に反対する福島県自由党員・農民を弾圧した事件〉に関わったグループが中心で、これに茨城県・下館の民権家や栃木県内の民権家が加わっている。栃木県庁の移転にともなって宇都宮に庁舎が落成する際に、民権運動を厳しく弾圧した県令・三島や集まった大臣達を爆殺する計画であったが、鯉沼九八郎〈政治家・民権家〉が爆弾を製造中に誤爆。計画が明らかになると、茨城県加波山山頂付近に立てこもり、「圧制政府転覆」「自由の魁」等の旗を掲げ、決起を呼びかけるビラを配布した。又警察署や豪商の襲撃も行なっている。茨城県古河市中田にあった文武館を中心にして小山、結城にて策謀を練っていた。

 自由民権運動とは、明治時代の日本において行われた、憲法制定や国会開設のための政治運動ならびに社会運動である。

※名古屋事件(平田橋事件)の碑