ホリショウのあれこれ文筆庫

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第5話 親鸞聖人の到達した境地

序文・幼い頃、実家で浄土真宗のお経を読まされた記憶からか、大人になってから仏教に興味が湧き、仏教関連の書籍を読みあさった。親鸞聖人の歎異抄は哲学的でもある。

                               堀口尚次

 

 浄土真宗親鸞聖人は「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と説きました(悪人正機説)。これは親鸞の教えではなく、浄土宗の法然上人のものであることが近年の研究で分かってきたそうです。

 これは一般には、「善人ですら往生できるのだから、悪人が往生できるのは当たり前。」と取られます。そこで「欲望のままに悪事を行ってもよい」と誤解されやすく注意を要します。ここでいう悪人とは犯罪などの悪行をはたらく者のことではなく、煩悩を抱えた人間はすべからく悪人であるという前提。そして阿弥陀仏の救済の対象が、この悪人であり阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるとする。つまり「弥陀の本願に相応した時、自分は阿弥陀仏が見抜かれたとおり、一つの善もできない悪人だったと知らされるから、早く本当の自分の姿を知りなさい」とするのが、「悪人正機」の本質だという。誤解をして「悪人が救われるというなら、積極的に悪事を為そう」という行動に出る者が現れた。これを「本願ぼこり」と言う。親鸞はこの事態を憂慮して「くすりあればとて毒をこのむべからず」と戒めています。

 師である法然上人からの「悪人正機」の思索を探求した親鸞が、より思想を深めた境地というのは「善人を善人たらしめているのも阿弥陀仏なんだ。悪人を悪人たらしめておられるのも阿弥陀仏なんだ。阿弥陀仏というのは宇宙の意志で、いい事を出来るのも自分の意志でやってるんじゃない、阿弥陀仏の意志でいいことをさして頂けるんだ。阿弥陀仏の意志で悪い事をしてしまう人もいるんだ」と解説する研究家もいます。

 親鸞は、真に悟ったと感じ得た時に「まは、さてあらん(嗚呼そういうことだったのか)」と独り言を呟いたとされています。

 関東で布教の旅をしていた親鸞が、日照りに悩む農民達を何とか救おうとして、お経を数万回唱える行をしましたが、農民達は救えませんでした。

自分の力を慢心し、自分が努力すれば苦しむ人々を救えると思っていましたが、『自分には人を救うことなどできない、人を本当の意味で救えるのは仏様だけで、私はその仏様に救われなければならない愚かな凡夫だ、自らのはからいを捨て、身も心も仏様にまかせていく道がお念仏の仏道だ。』と、そのことに気が付いた親鸞聖人が「まは、さてあらん」と呟いたのでした。

 そうして親鸞は「阿弥陀仏の本願他力」の教えに立ち返り、すべてを阿弥陀仏に帰依する事に気がついたのでした。ただしこれも、他力本願を「人任せ」と誤解されがちだが、他力とは阿弥陀仏に帰依する事に他ならないのでした。

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安城市・明法寺の親鸞聖人座像