ホリショウのあれこれ文筆庫

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第38話 平家物語の悲哀

序文・安徳天皇の最期は余りにも悲しい。「敦盛」を好んで舞った織田信長は、諸行無常や盛者必衰を体現したのだ。

                               堀口尚次

 

 平家物語は、祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理(ことわり)をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者も 遂にはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ」で始まる軍記物語で作者不明である。平家の繁栄と没落を「諸行無常」「盛者必衰」の理念によって叙述している。

 平清盛は、保元・平治の乱で源氏を滅亡させ、武士としては初めての太政官(だじょうかん)という最高国家機関で、最高位の太政(だじょう)大臣(だいじん)に上り詰める。こうして平家は武士として朝廷を掌握し、貴族をも凌いでこの世の春を謳歌した。

 こうした中「平家にあらずんば人にあらず」と言ったのは平時忠(清盛の義弟)だが、「平家でなければ人間じゃない」と解釈されされがちだが、「平家でなければ官職についても出世できない」という見方もある。

 謡曲・敦盛の一節「人間五十年 下天(げてん)のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享(う)け滅せぬもののあるべきか」は、織田信長が舞ったとされることで有名だ。人間の寿命は五十年という意味ではなく「人間界の五十年は天界の一日に相当する、つまり人間の一生は一夜の夢のようなもの。」という意味。

 平敦盛は、平清盛を叔父にもち17歳で一の谷の戦いに出陣する。源氏の熊谷直実と対峙するが、直実は自分の息子と同じ位の年齢である敦盛を哀れに思い一旦は躊躇するが武士の宿命として、涙ながらに敦盛の首を切った。直実はこの事に武士の哀れを感じ、後に出家する。

 壇ノ浦の戦いで敗れた平家の安徳天皇平清盛の孫・6歳)は、祖母(平清盛の娘)に抱かれて船上より急流へ身を投じた。この余りにも悲哀に満ちた情景は、諸行無常の響き盛者必衰の理(ことわり)を象徴してると思う。

 平家物語を伝承した琵琶法師は、琵琶を弾きながら物語を語る僧侶であるが、この琵琶法師が平家の残党・落武者であったという。

 平家を倒した源氏・源頼朝は、鎌倉幕府を樹立し征夷大将軍となったが、その後は室町幕府・戦国時代へ続き、諸行無常・盛者必衰の世は続くのだ。

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