ホリショウのあれこれ文筆庫

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第738話 高砂や この浦舟に 帆を上げて

序文・昔の結婚披露宴

                               堀口尚次

 

 『高砂(たかさご)』は、能の作品の一つ。相生(あいおい)の松〈兵庫県高砂市高砂神社〉によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能である。古くは『相生』、『相生松』と呼ばれた。

 ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、上ゲ歌で謡う『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉〈すみのえ〉に着きにけり、はや住吉に着きにけり』は結婚披露宴の定番の一つである。江戸時代、徳川将軍家では『老松』とともに『松』をテーマにした筆頭祝言曲二曲の一つであった。

 九州阿蘇宮の神官〈ワキ〉が播磨国高砂の浦にやってきた。春風駘蕩とする浦には松が美しい。遠く鐘の音も聞こえる。そこに老夫婦〈シテとツレ〉が来て、木陰を掃き清める。老人は古今和歌集の仮名序を引用して、高砂の松と住吉の松とは相生の松、離れていても夫婦であるとの伝説を説き、松の永遠、夫婦相老〈相生にかけている〉の仲睦まじさを述べる。命あるものは全て、いや自然の全ては和歌の道に心を寄せるという。ここで老夫婦は自分達は高砂・住吉の松の精であることを打ち明け、小舟に乗り追風をはらんで消えて行く。

神官もまた満潮に乗って舟を出し〈ここで『高砂や…』となる〉、松の精を追って住吉に辿り着く。

『われ見ても 久しくなりぬ住吉の、岸の姫松いく代経ぬらん』〈伊勢物語

の歌に返して、なんと住吉明神の御本体が影(よう)向(ごう)され、美しい月光の下、颯爽と神舞を舞う。作物は能ノ小書がついた〈流シ八頭、太極之傳、八段之舞、祝言之式〉場合に限り松の作物がが出される。無い場合あり。

 謡曲とは、能の詞章(ししょう)〈文字によって表現された言葉〉のこと。 演劇における脚本に相当する。本来、「謡」と言われていたものが、大正・昭和初期から「謡曲」とも称するようになった。謡曲は「謡の曲」という意味。

 また、俗謡に「おまえ百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」と謡うものがあり、これも『高砂』の尉・姥に結びつけて考えられている。