ホリショウのあれこれ文筆庫

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第844話 贖宥状

序文・お金と信心

                               堀口尚次

 

 贖宥状(しょくゆうじょう)とは、16世紀にカトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。免償符(めんしょうふ)、贖宥符(しゅくゆうふ)とも呼ばれる。また、日本においては免罪符(めんざいふ)とも呼ばれ、罪のゆるしを与える」意味で、責めや罪を免れるものや、行為そのものを指すこともある

 キリスト教カトリック教会〉では、洗礼を受けた後に犯した罪は、告白〈告解(こくかい)〉によってゆるされるとしていた。西方教会で考えられた罪の償いのために必要なプロセスは三段階からなる。まず、犯した罪を悔いて反省すること痛悔、次に司祭に罪を告白してゆるしを得ること告白、最後に罪のゆるしに見合った償いをすること償いが必要であり、西方教会ではこの三段階によって、初めて罪が完全に償われると考えられた。古代以来、告解のあり方も変遷してきたが、一般的に課せられる「罪の償い」は重いものであった。

 キリスト教に限らず、世界の多くの宗教に、宗教的に救済を得たいなら善行や功徳を積まなくてはならないとする「因果応報」や「積善説」という考え方がある。カトリック教会は、救われたい人間の自由意志が救済のプロセスに重要な役割を果たすとする「自由 意志説」に基づいた救済観を認め、教会が行う施しや聖堂の改修など、教会の活動を補助するために金銭を出すことを救済への近道として奨励した。

 贖宥状は元々、イスラームから聖地を回復するための十字軍に従軍したものに対して贖宥〈すでに赦(ゆる)された罪に伴う有限の罰の免除・軽減〉を行ったことがその始まりであった。従軍できない者は寄進を行うことでこれに代えた。しかし、義化〈神によって人が義と認められること〉の問題に悩みぬいた経験を持つマルティン・ルター神学者〉にとって、贖宥状によって罪の果たすべき償いが軽減されるというのは「人間が善行によって義となる」という発想そのものであると思えた。そしてルターが何より問題であると考えたのは、贖宥状の販売で宣伝されていた「贖宥状を買うことで、煉(れん)獄(ごく)の罪の償いが行える」ということであった。本来は罪のゆるしに必要な秘(ひ)跡(せき)の授与や悔い改め無しに、金銭で贖宥状を購入することのみで煉獄の霊魂の償いが軽減される、という考え方をルターは贖宥行為の濫用であると感じた。