ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第925話 大祓と茅の輪くぐり

序文・神道儀式

                               堀口尚次

 

 大祓(おおはらえ)は、日本神道儀式のの1つ。祓は浄化の儀式として宮中や神社で日常的に行われるが、特に天下万民の罪穢(つみけがれ)を祓うという意味で大祓という。毎年6月と12月の晦日(みそか)〈月の最終日〉、すなわち、新暦6月30日と12月31日に行われるものを恒例とするが、天皇即位後の最初の新嘗祭(にいなめさい)である大嘗祭(だいじょうさい)の前後や、未曽有の疫病の流行、斎宮斎院の卜定(ぼくじょう)〈占う〉、災害の襲来などでも臨時に執り行うことがあった。中臣(なかとみ)の祓とも言われる。

 民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。民間の場合、6月のものは「夏越(なつごし)の祓」、12月のものは「年越の祓」と呼び分けられる。前者は「名越」と表記されたり、「夏越神事」「夏祓」「六月祓」などと呼ばれることもあり、また、月遅れを採用する事例も見られる。その場合、月の大小の兼ね合いが生じるが、晦日に意義があるため、旧暦の6月30日や新暦の7月31日に行われる。

 夏越の祓では多くの神社で「茅(ち)の輪くぐ」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄(しめなわ)を張った結界内に茅(ちがや)で編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。

 これは、『釈日本紀逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国(えのくまのくに)、素戔嗚(すさのお)神社の蘇民将来(そみんしゅうらい)伝説に由来し、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。多くの神社で祭神としているスサノオと習合している例が多数見られる。

 疫隈國社 素盞嗚神社では蘇民将来説話に基づいて、茅の輪くぐりを行った後に解体し、持ち帰って個々に茅の輪にする風習が残っている。茅の輪に独特の形式を施しているところもある。奈良県大神神社では茅の輪は榊・杉・松をかかげた3連になっており、周り方も他の神社とは異なり、杉の輪 → 松の輪 → 杉の輪 → 榊の輪 の順にくぐる。出雲大社の茅の輪は「○形」ではなく、「U形」をしている。これを神職が両手で持ち、参詣者は、縄とびをするように飛び越える。茅を跨ぐと同時に両肩にかついた茅を落とす。