ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第986話 璽光尊事件

序文・双葉山が暴れた

                               堀口尚次

 

 璽光尊(じこうそん)事件とは、昭和22年に石川県金沢市で発生した事件である。昭和21年秋ごろより新宗教の「璽宇(じう)」は、石川県金沢市に本拠地を構えた。璽宇は璽宇尊〈本名・長岡良子が主宰する宗教団体である。

 昭和21年、昭和天皇人間宣言を行ったことで天皇の身体から天照大神が立ち去り、自分の身体に移ったと宣言、自身が正統の皇位継承者であると主張した。そして自らを「璽光尊」「神聖天皇」と名乗り、璽光尊の住まいを「璽宇皇居」と称した。璽宇の公式見解によると、璽光尊は旧岡山藩池田家第13代当主の侯爵池田詮政と安喜子夫人との間に生まれたご落胤であるという。ただし「落胤」とは高貴な男性が配偶者ではない女性と関係して産ませた私生児のことを意味する語なので、この場合は意味が通じない。安喜子夫人は皇族の出自で、池田家へ降嫁する前は安喜子女王といった。久邇宮朝彦親王の第三王女で、香淳皇后〈良子女王〉の父・久邇宮邦彦王の姉にあたる。つまり璽光尊は自身と香淳皇后が従姉妹同士と信じて疑わなかったのである。

 璽宇は、当時連合国軍最高司令官総司令部によって無許可の掲揚が禁じられている日章旗を堂々と掲揚したり、天変地異が起きると喧伝するなど、奇異な言動が注目を浴びていた。そして相撲の時津風親方横綱双葉山囲碁棋士として有名な呉清源(ごせいげん)も信者であったことから、全国的にも話題となっていた。

 石川県警察部では、人心の不安を煽っていること、統制物資である米を大量に所持していたことから食糧管理法違反の疑いで璽光尊に出頭を求めた。しかし璽光尊本人は出頭せず、幹部が代わりに出頭した。昭和22年1月21日午後10時頃になって、夜行列車で逃亡を図っていることが判明したため、警官隊は先手を打って本拠地を急襲した。本拠地では璽宇の信者が抵抗し、公務執行妨害璽光尊双葉山ら8人が逮捕された。特に双葉山は大暴れしたため、20人以上の警官で対応しても逮捕までに15分かかったという。

 璽光尊は精神鑑定にかけられ、「誇大妄想痴呆症」と診断されたため、まもなく釈放された。食糧管理法違反も「違法性なし」と判断されて不起訴となった。大捕物の割りに厳罰にならなかったのは、有名人の双葉山呉清源を「邪教」から救出する意図があったからとも言われている。