ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第985話 東海道中膝栗毛

序文・弥次喜多

                               堀口尚次

 

 『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』は、享和2年から11年にかけて初刷りされた、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の滑稽本である。「栗毛」は栗色の馬。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。

 人気作品となり刊行は『東海道中膝栗毛』と『続膝栗毛』あわせて20編・21年間の長期に及んだ。後世に読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛喜多八、繋げて『弥次喜多』は、派生する娯楽メディア類に、なお活躍している。文学的な価値とともに、文才とともに絵心のあった作者による挿絵が多く挿入され、江戸時代の東海道旅行の実状を記録する、貴重な資料でもある。一般的には上記の『弥次喜多』あるいは『弥次喜多道中』の通称で親しまれている。

 お江戸・神田八丁堀の住人、栃面屋(とちめんや)弥次郎兵衛と、居候の喜多八は、妻と死別したり、仕事上の失敗から勤務先を解雇されるなど、それぞれの人生で思うにまかせぬ不運が続き、つまらぬ身の上に飽き果て、厄落としにお伊勢参りの旅に出ることを決意した。身上を整理して財産をふろしき包み一つにまとめ、旅立った二人は、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大坂へとめぐる。続編ではは四国に行き、讃岐の金毘羅大権現 松尾寺を参詣し、中国地方に行き、宮島を見物し、そこから引き返して木曾街道を東に、善光寺を参詣し、草津温泉に行き、江戸に帰着する。2人は道中で、狂歌・洒落(しゃれ)・冗談をかわし合い、いたずらを働いては失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こす。

 弥次郎兵衛は、東海道の旅に出発当時数え歳50歳。屋号は「栃面屋」。肥えていて、作者によると「のらくら者」「ただのおやじ也」という。作中では下俗で軽薄な性格設定がされているが、一方で楽器を演奏し、古今の書籍に通暁し、狂歌漢詩、また法律文書も自在に作成するなどきわめて教養の高い人物として描かれる。駿河国府中〈現・静岡市〉出身、実家は裕福な商家であったが遊蕩が過ぎて作った借金がもとで江戸に夜逃げし「借金は富士の山ほどある故に、そこで夜逃を駿河者かな」と身の上を詠んでいる。

 喜多八は、出発当時数えで30歳。弥次郎兵衛の居候。元々は弥次郎兵衛の馴染みの陰間(かげま)〈男娼〉であったが、弥次郎兵衛とともに江戸に駆け落ちしてくる。ある商家に使用人として奉公したが、使い込みをした上に、女主人に言い寄ろうとして嫌われ、解雇されて行き場を失い、弥次さんとともに旅立つ。

弥次さん喜多さんの像          ※十返舎一九