ホリショウのあれこれ文筆庫

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第426話 福助人形の生い立ち

序文・江戸の商売人の鏡

                               堀口尚次

 

 福助人形は、幸福を招くとされる縁起人形。正座をした男性で、大きな頭とちょんまげが特徴。頭が大きな人の比喩にも用いられる。

 元々は、文化元年頃から江戸で流行した福の神の人形叶(かのう)福助。願いを叶えるとして茶屋や遊女屋などで祀られた。

 叶福助のモデルとなった人物も実在したと言われており、松浦清の『甲子夜話』にも登場する。当時の浮世絵にも叶福助の有掛絵(うけえ)〈浮世絵版画の一種〉が描かれ、そこには「ふ」のつく縁起物と共に「睦まじう夫婦仲よく見る品は不老富貴に叶う福助」と書かれている。

 一説に、享和2年に長寿で死去した摂津国西成郡安部里の佐太郎がモデルである。もともと身長2尺足らずの大頭の身体障害者であったが、近所の笑いものになることを憂いて他行を志し、東海道を下る途中、小田原で香具師(やし)〈露店で出店や街頭で見世物などの芸を披露する商売人〉にさそわれ、生活の途を得て、鎌倉雪の下で見せ物に出たところ、評判が良く、江戸両国の見せ物にだされた。江戸でも大評判で、不具〈体の一部に障害がある〉助をもじった福助の名前を佐太郎に命じたところ、名前が福々しくて縁起がよいと見物は盛況であった。見物人のなかに旗本某の子がいて、両親に遊び相手に福助をとせがんで、旗本某は金30両で香具師から譲り受け、召し抱えた。それから旗本の家は幸運つづきであるのでおおいに寵愛され、旗本の世話で女中の「りさ」と結婚し、永井町で深草焼をはじめ、自分の容姿に模した像をこしらえ売りにだし、その人形が福助の死後に流行したという

 福助が着ているのは羽織ではなく裃(かみしも)だ。裃は上半身に着る袖の無い上衣と、袴を組合せたもので、室町時代に生まれて、江戸時代には武士の礼服として採用された。そして商売人にとってこの裃は重要な意味を持つ。裃は文字通り「上下別け隔てなくお辞儀をする」という意味。江戸の商人たちは「どんなお客様にも平等に対応する」ということが商売をする上でとても重要な作法であると考えてきたことから、裃を着た福助人形は特別を意味を持っていた。そして扇子を持っているのは、結界を作って自分が控える形を表し、控えめに商売させていただくという気持ちが込められているそうだ。

※有掛絵