ホリショウのあれこれ文筆庫

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第629話 財政再建の神様・山田方谷

序文・尽己

                               堀口尚次

 

 山田方谷(ほうこく)は、幕末期の儒家陽明学者、備中松山藩士。江戸時代の藩財政の立て直しで有名なのは、米沢藩上杉鷹山だが、鷹山は藩主主導で50年以上をかけて取り組んでいるが、山田方谷の藩政改革は、10万両約600憶の借金を8年間という短期間で返済し、余剰金まで蓄えているのだ

 嘉永2年11月、方谷は藩主・板倉勝静から江戸へ召喚され、藩の財政を司る元締役とその補佐役である吟味役の兼務を命じられた。当初、方谷は農民上がりの儒者であることを理由に就任を固辞したが、勝静の説得に遂に就任を引き受けるに至った。方谷の元締役就任は藩士たちには驚きをもって迎えられ、松山藩江戸屋敷では、方谷を揶揄したり、勝静を批判する狂歌が流行った。

 帰国した方谷は早速に藩の財務状況の調査を始めた。その結果、年ごとの会計は適切に処理されることなく先送りが繰り返され、さらに飢饉や不時の出費がある度に借金をし、これを返済するため更に借金を重ねた結果、元本だけで総額10万両を超える負債を抱え、藩士の家禄の借り上げや年貢の臨時徴収が常態化しており、さらに表向きは5万石とされていた藩の実際の石高は半分にも満たない約1万9千余石に過ぎず、これまでの元締役は債権者に藩の実収入を隠して借金を繰り返していたことが判明した。

 嘉永3年3月、板倉勝静は松山に帰国すると正式に藩政改革の大号令を発し、改革に対して不平を述べたり背信行為を行う者は厳罰に処す旨を宣言し、また改革の全権を委ねた方谷に対する誹謗中傷を禁じた。まず藩内に藩主から領民にいたるまでを対象とする倹約令が発せられた。

 若くして朱子学陽明学を学び、江戸で儒学者佐藤一斎の門をたたいた方谷は、一斎から「尽己(じんこ)」の書を贈られた。目の前の物事に己の全てを尽くす、という意味が込められた言葉だった。「尽己」の言葉と方谷の生きざまに強くひかれたのがプロ野球侍ジャパンの栗山監督だ。歴史上の偉人や実業家の言葉にチームをまとめるヒントを求めることも頻繁にあるという栗山監督が就任直後の2022年の年明け、手に取ったのが方谷について書かれた小説だった。