ホリショウのあれこれ文筆庫

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第59話 偽官軍となった赤報隊

序文・勝てば官軍、負ければ賊軍というが、「偽官軍」といわれた隊もありました。

                               堀口尚次

 

 「赤報隊」とは、「赤心(せきしん)【嘘偽りのないありのままの心】を持って国恩に報いる」からきている。総裁の相楽総三は、江戸薩摩藩邸の浪士隊として、江戸市中に於いて旧幕府軍に対する挑発的行為として工作活動などを行い、これが戊辰戦争の最初の戦いである鳥羽伏見の戦いのきっかけにもなった。

 西郷隆盛は、幕府側が先に手を上げる様に、浪士を雇って活動させていた。相楽達は、江戸城二の丸への放火なども、天璋院薩摩藩から将軍家に嫁いだ篤姫)救い出しの工作として関与している。

 こうした中、鳥羽伏見の戦いで勝利した新政府軍は、官軍として討幕軍となり江戸城に向て進軍する事となった。

 この時に赤報隊は、新政府の許可を得て東山道軍(江戸へ向かう討幕軍)の先鋒として各地で「年貢半減」を宣伝しながら、世直し一揆などで旧幕府に対して反発する民衆の支持を得た。しかし新政府軍は「官軍之御印」を出さず、文書で証拠を残さない様にした。そして新政府は財政的に年貢半減の実現は困難であるとして密かに取消し、年貢半減は相楽らが勝手に触れ回った事であるとして、偽官軍の烙印(らくいん)を押した。そうして赤報隊追討の命が出る中、相楽達は捕縛され処刑される。

 赤報隊には、清水次郎長との抗争を繰り広げていた博徒・黒駒勝蔵も参加している。黒駒は、尊王思想の影響を受けて官軍に加わったと見られるが、相楽らが処刑された後、遊撃隊に入退し戊辰戦争を戦うが、最終的には遊撃隊脱退嫌疑で処刑される。

 「官軍の捨て駒にされた悲劇の主人公」として扱われた赤報隊だが、必ずしも正義の軍であったとは言えない一面があった。薩摩藩は江戸薩摩藩邸宛に関東での攪乱(かくらん)工作の停止を指示し、大政奉還の翌日にも「鎮静」する様に念を押している。それにもかかわらず、相楽達は指示を悉(ことごと)く無視して事件を起こしている。また相楽達の軍資金は豪商を襲って得たものだった。こうした相楽達の挙兵は旧幕府軍を刺激し、庄内藩旧幕府軍による江戸薩摩藩邸の焼討事件に発展している。

 確かに赤報隊は、当初は官軍だった。ではなぜ「偽官軍」の烙印を押されてしまったのだろう、それは上記した通りである。組織に属する者の定(さだめ)であろう。

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