ホリショウのあれこれ文筆庫

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第129話 ②金日成の粛清・独裁体制・終焉

序文・凄まじい粛清の上に、独裁体制をしいていたのだ。

                               堀口尚次

 

 金日成派は満州とも呼ばれる東北抗日聯軍(れんぐん)〈連合軍〉出身者たちである。彼らは他の派閥以上に徹底した団結を誇った。満州はかつて中国共産党パルチザンソ連軍に加わった成り立ちから、植民地時代から朝鮮で活動していた国内派よりも、当初は延安派やソ連派と友好的であり、金日成満州は、まず国内派の粛清を開始した。朝鮮戦争休戦直後には南労派(国内派の主流と目された一派。ソウルを中心に活動していた)を「戦争挑発者」として有力者を逮捕・処刑した。延安派とソ連派は南労派の粛清を黙視していたが、その後共同して金日成の批判を試みるもその報復で自らも粛清されるに至った。さらに満州は南労派や延安派の残存勢力を排除する運動を数度に渡って展開した。                                              一連の過程でソ連派も排除され、多くのソ連派の幹部はソ連に帰国した。一方でソ連とソ朝友好協力相互援護条約、中華人民共和国とは中朝友好協力相互援護条約を結んで軍事同盟関係を築くことで中ソとの決定的対立は回避した。

 その後、国内北部で活動していた甲山派なども粛清し、満州が主導権を握るに至った。この頃までに満州の中からも変死事件が起こるなどしている。その結果、朝鮮労働党初代政治委員で生き延びたのは、金日成以外では皆無」と言われるほどの粛清が行われた

 そして、満州内部においても、数名が粛清された。憲法が改正され、金日成への権力集中が法的に正当化されたが、それ以降も粛清が継続され、金日成の後妻、実弟、叔父の娘婿(義従兄弟)など身内にも失脚者が出た。更に、国家副主席だった者が追放され、後には政治犯収容所へと送られた。

 金日成の独裁体制が確固なものとなってからは、金日成派の執権を脅かす要素が外部からは観察できない。それでもなお、忘れた頃に小規模ながらも粛清が展開されている。これらの粛清が何を目的としたものかは不明である。全体主義体制の整理であるとする立場、満州から金日成個人への権力集中過程だとみなす立場、金正日後継体制の準備であるとする立場など無数の見方があるが、いずれの立場にとっても決定的な論拠となる情報を入手出来ないのが実情である。

 金日成スターリンの政治手法を用いて、政治的ライバルを次々と葬った。早くに社会主義体制(ソ連社会主義体制)を築き、満州派=金日成独裁体制を完成させた。

 金日成が還暦を迎えると、祝賀行事が盛大に催され、個人崇拝が強まると国外の懸念を生んだ。

 朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法が公布され、国家元首として国家主席の地位が新設されると、金日成国家主席に就任した

 新憲法では国家主席に権力が集中する政治構造となっており、金日成朝鮮労働党総書記・国家主席朝鮮人民軍最高司令官として党・国家・軍の最高権力を掌握し、独裁体制を確立した

 更に、金日成マルクス・レーニン主義を創造的に発展させたとする「主体(チュチェ)思想」を国家の公式理念とした

 国家主席に就任した頃、金日成は諸外国との関係樹立に力を入れ、49ヶ国と国交を結んだ。朝鮮半島の統一問題については、南北のそれぞれの代表が互いに相手国の首都を訪れ、祖国統一に関する会談を持った。統一は外国勢力によらず自主的に解決すること、武力行使によらない平和的方法を取ることなどを「南北共同声明」として発表した。しかし、対話は北朝鮮側から一方的に中断してしまった。

 その後、それまで頼みの綱だったソ連など共産圏からの援助が大きく減り、エネルギー不足が深刻になり、国内の食糧事情の悪化から大量の餓死者が出たと言われる。

 第6回朝鮮労働党大会において金日成は「一民族・一国家・二制度・二政府」の下での連邦制という「高麗民主連邦共和国」創設を韓国側に提唱した。

 「大韓航空機爆破事件」は犯人の一人とされる金賢姫(キム・ヒョンヒ)の自白によって北朝鮮による犯行であるとされ、世界各国から北朝鮮という国に対する厳しい批判が強まった。

 後継者問題は、経過は不明ながらも、結果として長男の金正日が党最高幹部の同意を得て後継者に指名された。後継者指名は秘密裏に行われ、後継者が選定されたことも長らく明らかにされなかった。しかし、公式に明らかにされる前から、新たな「単一の指導者」が選定されたことはいくつかのルートで確認されるに至った。金日成及び北朝鮮指導部はスターリン型の「単一の指導者」が金日成の死後も必要だと考えていたと見られている。北朝鮮指導部は、金裕民『後継者論』(虚偽の出版元が記載されている)において、民族には首領(すなわち「単一の指導者」)が必要であるという立場からソ連中華人民共和国の経験を失敗例として挙げるなど、同盟国を非難してまで早期に後継者を選定し育成する必要を説いていた。

 金日成の死因は執務中の過労による心筋梗塞と報じた。金日成は長く心臓病を患っており、さらに82歳と高齢であったことからも一般に病死は事実と見られている。

 その後、憲法改正によって「永久国家主席」に任じられる

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