ホリショウのあれこれ文筆庫

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第195話 「戦争自体は悪」が持論の海軍中将・堀悌吉

序文・謹賀新年、日米開戦80周年記念シリーズその2

                               堀口尚次

 

 堀悌吉(ていきち)、日本の海軍軍人。海兵32期首席・海大16期次席。海軍中将。先輩の米内〈海軍大臣内閣総理大臣〉、同期生の山本五十六海軍次官連合艦隊司令長官〉、後輩の井上〈最後の海軍大将〉からの信頼が厚く、海軍軍政を担うと目されていたが、軍縮会議後の大角(おおすみ)人事〈艦隊派主導によって行われた、条約派追放人事〉により中将でありながら予備役に編入された。山本五十六は、堀の失脚に強く抵抗したが、力及ばなかった。この時、山本は「海軍の前途は真に寒心の至なり。如比(かくのごとき)人事が行はるる今日の海軍に対し、之が救済の為努力するも到底六(むつ)かしと思はる。」「巡洋艦戦隊の一隊と一人の堀悌吉と、海軍にとってどっちが大切なんだ」と嘆き、自らも海軍を退くことを考えたという。しかし堀は山本を励まし思いとどまらせた。

 東條内閣の海軍大臣・嶋田が「日米開戦時の時期に堀などが海軍大臣として在任したとすれば、もっと適切に時局を処理したのではないか」と述べているように、その才幹を惜しまれた人物である。また『戦争自体は悪である』との持論であった。軍備は、戦争をしない為に抑止力として保持するという考えだ。

 昭和5年のロンドン海軍軍縮会議において、補助艦の比率は米英に対し7割は必要という艦隊派の意見が海軍部内では根強かった。軍務局長であった堀は、英米に対しては不戦が望ましいという意見をもち、会議を成立させるべきという立場で次官で条約派の山梨を補佐した。結局は米国と日本の妥協が成立し、日本は対米比6割9分7厘5毛でロンドン海軍軍縮条約に調印した。

 しかし艦隊派が台頭する海軍内で堀の立場は弱くなり、海軍中央から遠ざけられることになった。第3戦隊司令官、第1戦隊司令官を歴任し海軍中将に進級したが、失脚する。この頃に山本五十六は、第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉の海軍側首席代表として日本を離れていたが、堀や山本が理想とした軍縮・戦争回避・平和路線は、本国の海軍軍令部に却下されたのだった。

 こうして昭和11年、政府は堀が尽力したロンドン海軍軍縮条約からの脱退を通告する。日本は太平洋戦争の一因にもなった無制限軍備拡張の時代に突入したのだ。海軍の言い分は『この条約を締結することは天皇が持っている統帥権を侵害している!これは憲法違反だ!』と反対した。所謂(いわゆる)統帥権干犯(かんぱん)問題だ。

 特記・堀のような不戦論者・平和主義者も軍部の中枢にいた事はいたのだ。

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山本五十六(左)と堀悌吉(右)