ホリショウのあれこれ文筆庫

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第203話 死刑囚の冤罪は国家殺人

序文・裁判官も人間だから間違いも起こす可能性がある

                               堀口尚次

 

 最近テレビで立て続きに「死刑囚の冤罪」ドキュメンタリー番組を観た。司法とて人間だ。絶対に間違えないとはいえない。ところが官僚には、無謬性(むびゅうせい)神話〈絶対に間違えがないという思い込み〉があると云われるが、こと司法に関しては思い込みでは済まされない。ましてや死刑判決に関しては、取り返しがつかないのである。また逆に、死刑が確定しても執行命令を出さない法務大臣もおかしいと思う。三権分立なのに、司法の上に行政府があるみたいだ。

 起訴されて、裁判で無罪が確定した場合は、被告人は勾留時間分の賠償請求が可能のようだ。死刑囚が再審請求後、無罪を勝ち取った場合の補償はどうなっているのだろう。

 今回の二つのドキュメンタリー共に、被告人は警察での過酷な取り調べに負けて、自白を強要されたものだったが、決定的な物的証拠がなくても、自白供述書があれば有罪にもっていけたようだ。取調室の可視化が問題になっている原因がよくわかった。

 それにしても、こと死刑判決に関しては、もっと慎重な裁判が行われているものだとばかり思っていた。これでは、例えば身代わりに死刑判決を受けようと思った人間が、嘘の自白をすれば有罪確定という流れになってしまうのではないか。勿論そんな簡単な図式ではないだろうが、どうも冤罪が生み出される背景には、警察や検察の捜査に対する思い込み〈筋書みたいなもの〉が激しくあるように感じた。そして、冒頭で述べた、警察・検察官僚の無謬性から来る逆戻り出来なくなってしまう変な慣習みたいなものがあるのではないか。

 番組では、死刑囚だった方が、再審請求から無罪判決を勝ち取って社会復帰を果たしたが、やはり世間からの風評被害・差別・偏見の眼差しを感じざるを得なかったことを伝えていた。

 私の考えだが、このようなケースの場合は、国家が責任を以てフォローしなくてはならないと思った。金銭面は当然ながら二度と取り戻せない貴重な時間を国家に奪われた人に対して、何らかの社会復帰のプログラムが必要ではないか。そして、私が強く思う事は、間違えて死刑判決を下した裁判官や、自白を強要させた警察の取調官や、裁判で有罪に導いた検察官らの責任問題だ。なんらかの行政処分があってしかるべきだと思う。勉強不足なので継続勉強します。

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