ホリショウのあれこれ文筆庫

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第202話 大久保利通の心中は西郷のみが知る

序文・大久保と西郷は郷友

                               堀口尚次

 

 大久保利通は、明治維新の元勲であり、西郷隆盛木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。初代内務卿で、内閣制度発足前の明治日本政府〈太政官〉の実質的・事実上の首相。

 薩摩藩郷中薩摩藩の武士階級子弟の教育法〉や藩校では、西郷隆盛と同じで、共に学問を学び親友・同志となった。薩藩主・島津斉彬や国父・島津久光に仕え、精忠組〈藩内組織〉の領袖として頭角を現していった。

 将軍・徳川慶喜大政奉還を果たすと、大久保は、岩倉ら倒幕派公家とともに、王政復古の大号令を計画して実行する。王政復古の後、参与に任命され、小御所会議にて慶喜の辞官納地を主張した。

 こうして徳川幕府が瓦解すると、参議に就任し、版籍奉還廃藩置県などの明治政府の中央集権体制確立を行う。西郷隆盛ら征韓派と対立し、明治六年政変にて西郷らを失脚させた。同年に内務省を設置し、自ら初代内務卿として実権を握ると、学制や地租改正、徴兵令などを実施した。そして「富国強兵」をスローガンとして、殖産興業政策を推進した。不平士族による佐賀の乱が勃発すると、ただちに自ら鎮台兵を率いて遠征、鎮圧している。首謀者の江藤俊平ら13人を、法によらない裁判で処刑した。さらに江藤を梟首〈晒し首〉しただけでなく、首を写真撮影して、全国の県庁で晒し者にした。明治11年、馬車で皇居へ向かう途中、紀尾井坂付近の清水谷にて6人の不平士族に殺害された。享年49歳。

 金銭には潔白で私財を蓄えることをせず、それどころか必要だが予算のつかなかった公共事業には私財を投じてまで行い、国の借金を個人で埋めていた。そのために死後の財産が現金140円に対して8,000円もの借金が残り、所有財産も全て抵当に入っていたが、大久保の志を知っていた債権者たちは借財の返済を遺族に求めなかった。

 明治六年政変から西南戦争と、郷友であった西郷隆盛と袂を分かつ事となったが、西郷死亡の報せを聞くと号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた〈この際、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」と呟いた〉。西南戦争終了後に「自分ほど西郷を知っている者はいない」と言って、西郷の伝記の執筆を歴史学者に頼んだりもしていた。また暗殺された時には、生前の西郷から送られた手紙を懐に持っていたとされる。明治新政府を強引に牽引してきた大久保利通だったが、その陰には郷友の西郷隆盛が常にあった。大久保利通の心中は、西郷隆盛にしかわかるまい。

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