ホリショウのあれこれ文筆庫

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第380話 江戸城無血開城の立役者・山岡鉄舟

序文・赤誠の人

                               堀口尚次

 

 幕臣山岡鉄舟(てっしゅう)は、江戸無血開城を決した勝海舟西郷隆盛の会談に先立ち、徳川慶喜の使者として官軍の駐留するす駿府に辿り着き、伝馬町の松崎屋源兵衛宅で西郷と面会して談判する。

 これに先立つ江戸城重臣会議において、徳川慶喜は恭順の意を表し、勝海舟に全権を委ねて自身は上野寛永寺に籠り謹慎していた。慶喜は恭順の意を征討大総督府へ伝えるため、高橋泥舟(でいしゅう)を使者にしようとしたが、彼は慶喜警護から離れることが出来ない、と述べ義弟である鉄舟を推薦する。鉄舟は慶喜から直々に使者としての命を受け、駿府へ行く前に勝海舟に面会する。海舟と鉄舟は初対面であり、海舟は鉄舟が自分の命を狙っていると言われていたが、面会して鉄舟の人物を認めた。打つ手がなかった海舟はこのような状況であることを伝え、征討大総督府参謀の西郷隆盛宛の書を授ける。海舟の使者と説明されることが多いが、正しくは広義も含め慶喜の使者である。

 この時、刀がないほど困窮していた鉄舟は、親友に大小〈刀〉を借りて官軍の陣営に向かった。また、官軍が警備する中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と大音声で堂々と歩行していったという。

 3月9日、益満休之助〈幕府に逮捕されていた薩摩藩士〉に案内され、駿府で西郷に会った鉄舟は、海舟の手紙を渡し、徳川慶喜の意向を述べ、朝廷に取り計らうよう頼む。この際、西郷から5つの条件を提示されるが「将軍慶喜備前藩にあずける」という条件のみ鉄舟は拒んだ。西郷はこれは朝命であると凄んだ。これに対し、鉄舟は、もし島津公が〈将軍慶喜と〉同じ立場であったなら、あなたはこの条件を受け入れないはずであると反論した。西郷は、江戸百万の民と主君の命を守るため、死を覚悟して単身敵陣に乗り込み、最後まで主君への忠義を貫かんとする鉄舟の赤誠(せきせい)〈少しもうそ偽りの無い心〉に触れて心を動かされ、その主張をもっともだとして認め、将軍慶喜の身の安全を保証した。これによって江戸無血開城への道が開かれることとなった。江戸無血開城の中身は鉄舟と西郷の交渉でほとんど決まっている。                              その人間性は、西郷隆盛をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた。因みに、勝海舟高橋泥舟ともに「幕末の三舟」と称される。