ホリショウのあれこれ文筆庫

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第231話 東條英機暗殺計画の東亜連盟

序文・大山倍達も参加していた東亜連盟

                                   堀口尚次

 

 東亜連盟は、石原莞爾(かんじ)〈陸軍の異端児・軍事の偉才〉の指導のもとに石原構想の実現を目ざした右翼的国家社会主義団体。石原の構想は、日本をアジアさらに世界の盟主とし、そのための「東洋文明圏」を結成するというものであった。東亜連盟はその一階梯(かいてい)として、日本、「満州国」、中国の一体化を目標とし、王道主義の統治を説く一方、「国防の共同」「経済の一体化」を図り、アメリカとの世界最終戦争に備えようとした。そのため日中戦争の収拾を図り対米開戦に反対したが、東條英機内閣の圧迫を受けて勢力を失った。昭和21、占領軍により解放させられた。

 東條と犬猿の仲だった石原だったが、昭和19年道家牛島辰熊と津野田知重少佐は、東條英機首相暗殺を企てた。共に東亜連盟で石原莞爾に師事していた。

 津野田は、大本営参謀部三課の秘密文書を読み、予想以上の日本軍の惨敗ぶりに愕然とし、牛島辰熊に相談した。「このままでは国民は全滅だ」と悟った2人は、東條を退陣させて戦争を止めるために、皇族への「大東亜戦争現局に対する観察」という献策書を書き上げ、三笠宮高松宮らを通じて直接天皇へ渡してもらうことにした。

 2人は、献策書を持って石原が蟄居する山形県を訪ねた。石原は献策書を通読すると「一晩考えさせてくれ」と言って2人を泊まらせた。その献策書の欄外には、はっきりと「非常手段、万止むを得ざる時には東條を斬る」と書かれていたからである。次の日の朝6時、津野田と牛島を座敷に通した石原は、「今の状態では万事が手遅れだ」と言って赤鉛筆を取り、献策書末尾に「斬るに賛成」と書いた。石原の賛意を得た津野田と牛島は、勇んで東京に戻り、暗殺方法について話し合った。結果、習志野のガス学校で極秘開発されていた青酸ガス爆弾「茶瓶」を使い、牛島辰熊が実行することになった。 計画は、東條が乗っているオープンカーに向けて、皇居二十橋前の松の樹上から青酸ガス爆弾を投げ付けて東條を暗殺するというものであったが、内閣打倒までは賛同していた三笠宮崇仁親王に対して津野田が計画の細部を打ち明けたところ、東條の暗殺までは容認できなかった三笠宮憲兵隊に通報した為に津野田と牛島は逮捕された。両名は軍法会議によって裁かれたが、結審が東條内閣崩壊後であった為、津野田は陸軍から免官のうえ、禁固5年、執行猶予2年で釈放。牛島は不起訴。石原は軍法会議に召喚されて、始末書の提出のみで終わった(津野田事件)。

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