序文・社会主義国家が辿った運命
堀口尚次
「ユーゴスラビア」は、1918年にセルビア王国を主体としたセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国として成立。1929年にユーゴスラビア王国に改名されたが、1941年にナチス・ドイツを中心とする枢軸国の侵攻によって全土を制圧され、以後枢軸国各国による分割占領や傀儡政権を介した間接統治が実施された。枢軸国が敗戦した1945年からはパルチザンが設置したユーゴスラビア民主連邦が正式なユーゴスラビア政府となり社会主義体制が確立され、ユーゴスラビア民主連邦はユーゴスラビア連邦人民共和国に改称された。そして1963年、ユーゴスラビア連邦人民共和国はユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称された。
しかし、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は1980年代後半の不況によって各構成国による自治・独立要求が高まり、1991年から2001年まで続いたユーゴスラビア紛争により解体された。その後も連邦に留まったセルビア共和国とモンテネグロ共和国により1992年にユーゴスラビア連邦共和国が結成されたものの、2003年には緩やかな国家連合に移行し、国名をセルビア・モンテネグロに改称したため、ユーゴスラビアの名を冠する国家は無くなった。この国も2006年にモンテネグロが独立を宣言、その後間もなくセルビアも独立を宣言し国家連合は解消、完全消滅となった。
「チェコスロバキア」は、現在のチェコ共和国およびスロバキア共和国により構成されていた。これは、チェコ人とスロバキア人がひとつの国を形成するべきであるというチェコスロバキア主義に基づくものである。首都は現在のチェコ首都であるプラハ。国旗は現在のチェコ共和国と同じものが使用されていた。
1948年からはチェコスロバキア共産党の事実上の一党独裁制によるソ連型社会主義国となり、1960年に国名はチェコスロバキア社会主義共和国とされ、1989年まで使用された。1992年 総選挙で第一党となったチェコの市民民主党とスロバキアの民主スロバキア運動が連邦制解消に合意。 連邦議会で「連邦解消法」が可決成立。1993年 連邦解消法に基づき1月1日午前0時にチェコ共和国とスロバキア共和国に分離。
この他には、「ソビエト連邦」「南ベトナム」「チベット」「アラブ連合共和国」「ローデシア」などの国家が消滅している。
「ユーゴスラビア」や「チェコスロバキア」は、馴染みがあった国名なので残念でもあり、哀愁のある響きに感じる。