ホリショウのあれこれ文筆庫

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第891話 天下の悪妻・日野富子

序文・足利将軍の正室

                               堀口尚次

 

 日野富子〈永享12年 - 明応5年〉は、室町幕府足利将軍家と縁戚関係を持っていた日野家の出身で、室町幕府後期から戦国時代前期の女性。室町幕府8代将軍足利義政正室〈御台所(みだいどころ)〉。父は蔵人右少弁・日野重政、母は従三位・北小路苗子〈北小路禅尼〉。兄弟に勝光〈兄〉、永俊〈11代将軍・足利義澄の義父〉、資治〈日野兼興の養子〉、妹に良子〈足利義視・室〉。9代将軍・足利義尚の母。従一位

 正式名は氏姓+諱の藤原朝臣冨子。「従一位冨子」の本人署名が後世に伝わる。当時の呼称は主に将軍正室の意味の「御台」、夫の死後もしばしばそのように呼ばれている。夫婦喧嘩により別居した時には、居住地を取って「東山殿」と呼ばれるようになった夫に代わって「室町殿」と呼称された記録もある〈親元日記〉。大正2年の日本史概説書では「藤原富子」。

 しばしば中世の夫婦別姓〈氏〉の例として挙げられるが、実際に本人が「日野富子」を名乗った事実は確認されていない。日野は富子の実家の名字であるので富子が婚姻すれば名乗る事はないはずで、公的な場合には「実家の氏の名+名前」であり、富子の場合は「藤原富子」が正式であり、氏姓〈本姓〉と名字を混同した後世の誤解だという批判がある。また前近代の日本で男性が女性に実名を尋ねることはしばしば求婚を意味し、実名呼称回避の慣習が男性以上に強力だったため、女性はもっぱら通称を名乗り、極めて限定的な場合以外実名は名乗らないのが原則であった。

 その活動に対する庶民からの評価は決して高くなく、戦乱で苦しむ庶民をよそに巨万の富を築いた「悪女」「守銭奴」と評された。夫の義政が東山山荘の造営のため費用捻出に苦心していたときは、一銭の援助もしていないことから「天下の悪妻」とも呼ばれる。一方で、火災で朝廷の御所が焼け、修復するため膨大な費用が必要になったときは自身の蓄財から賄ったりしていた。幕府財政は贈答儀礼や手数料収入などに頼ったものに切り替わりつつあり、富子の蓄財もその文脈で考える必要があるとも指摘されている。富子の遺産は7万貫〈約70億円〉に達していたという。

 因みに、日野富子北条政子淀殿は「日本三大悪女」と呼ばれている。