ホリショウのあれこれ文筆庫

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第23話 シビリアンコントロールの実態

序文・シビリアンコントロール文民統制)では、内閣総理大臣自衛隊の最高責任者となっている。そこに垣間見える問題点が露呈した事件だった。

                               堀口尚次

 

 冷戦時代の1976年ソ連軍の現役将校が、ミグ25戦闘機で日本の函館空港に強制着陸し亡命を求めた。ミグ25事件と呼ばれるものである。

 超低空飛行で侵入したため、日本のレーダーでは探知できなかったのだ。航空管制官は、自衛隊と警察に連絡をするが「領空侵犯は防衛に関する事項であるが、日本国内の空港に着陸した場合は警察の管轄に移る」とう警察の判断から、自衛隊は締め出されてしまった。将校はアメリカへの亡命が認められ、アメリカへ出国し、その後機体は法務省から防衛省に管轄が移った。

 そしてソ連軍(特殊部隊など)が「機体を取り返しに来る」や「機密保持のため破壊しに来る」との噂が広まり、函館に駐屯する自衛隊・北部方面隊・第11師団隷下の第28普通科連隊は作戦準備にかかった。実際に、ソ連軍来襲時には戦車を先頭に完全武装陸上自衛隊員200人が函館空港に突入、防衛戦闘を行う準備がされていた。この際、国籍不明機に対し迎撃態勢に入ったが、寸前のところで「友軍機・自衛隊の輸送機」であることが判明し、発射されなかった。この発射命令は文民指導部から全く許可を受けないで行われたため、教訓をまとめた文書は全部破棄された。海上自衛隊も、ソ連艦艇が強行侵入した場合の迎撃担当として待機していた。

 実際にソ連軍が機体を奪還することはなく、アメリカ軍により解体・調査された後、ソ連に返還された。事件終結後、日本政府は対処に当たった陸上自衛隊に対して、同事件に関する記録を全て廃棄するように指示したが、これに対して当時の陸上幕僚長は自らの辞意をもって抗議した。

 この事件はパイロットの亡命要求であることが幸いしたが、仮に侵略や攻撃目的の場合でも同様に航空自衛隊の防空網を簡単に突破されてしまう危険が露呈した。それよりも問題なのは、シビリアンコントロール文民統制文民たる政治家が軍隊を統制する)の大原則に風穴が空いたことではないか。当時の総理大臣・海部俊樹はインタビューに対し「私は突撃せよ、などとは一言もいっていない」と断言した。当時の陸上自衛隊の現場の指揮官(師団長・大隊長)らは、「函館空港に突撃せよ」を発信している。

 自衛隊幕僚長(幹部)は、「我々は国民の命を守るのが任務であり、現に目の前に戦闘機が奪還(もしくは爆破)される危険が迫っている時に、その都度総理大臣の指示を仰いでいたのでは、任務が遂行できない。」と発言している。

 我が国では、文民統制ができなかった先の大戦での軍部の暴走は、教訓として生かされているのだろうか。専守防衛・正当防衛の難しさを痛感した。

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ミグ25戦闘機