ホリショウのあれこれ文筆庫

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第164話 板垣死すとも自由は死せず

序文・100円札は子供の頃つかいました

                               堀口尚次

 板垣退助は元土佐藩士で、明治維新の元勲(げんくん)、自由民権運動の指導者。東アジアで初となる帝国議会を樹立し「憲政の父・国会を創った男」として知られる。

 板垣は、絶対尊皇主義者として知られ、君民一体による自由民権運動の主導者であり「君主」は「民」を本とするので「君主主義」と「民本主義」は対立せず同一不可分であると説いた。自由民権運動は、「億兆安撫(おくちょうあんぶ)国威(こくい)宣揚(せんよう)の御宸翰(ごしんかん)〈五箇条の御誓文の皇(こう)誓(せん)=皇国臣民の誓詞(せいし) に際しこれに附して明治天皇が全国民に対して下された御言葉〉」の意を拝し尊皇を基礎とし、その柱を五箇条の御誓文に求めるもので、特にその第一条「広く会議を興し万機公論に決すべし」は重視され、国内へは「国会の開設」、国外へは「不平等条約の撤廃」等を求めた。

 さらに国民皆兵を断行するため太政官(だじょうかん)=政府 の許可を得て全国に先駆けて「人民平均の理」を布告し、四民平等に国防の任に帰する事を宣した。これらの論旨の説明には「天賦(てんぷ)人権説〈すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつ〉」がしばしば用いられたが、海外思想の単なる翻訳・流用ではなく、日本の国体に則して歴史的に培われたものであることが強調されている。世界の自由主義思想は、キリスト教神学の聖書解釈や個人主義などを伴って発展したものが多い中で、板垣退助の説く自由主義は武士道精神により醸熟(じょうじゅく)された愛国主義 と密接に結びついており、単純にリベラリズム自由主義〉と翻訳出来ない日本独自の特徴を有する 。

 これは板垣が生涯にわたって貫いた姿勢であり、そのため国防を重視し、天皇護衛のための軍隊・御親兵の創設に盡力(じんりょく)。この御親兵がのちの近衛師団さらに大日本帝国陸軍の前身となる。参議のほか内務大臣を務めること2回。清貧で「庶民派」の政治家として国民から圧倒的な支持を受ける。少年期に聴覚障碍(しょうがい)を患った経験から、政界を退いてからは視覚障碍の按摩(あんま)専業や、傷痍(しょうい)軍人に対する福利厚生、女性受刑者が獄中出産した幼児の保護と育成などの社会改良にも取り組んだ。一君万民を説き、被差別部落解放の為の日本最初の全国組織となる帝国公道会を創設。岐阜遭難の時に発せられた「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は著名座右の銘は「死生亦大矣」。林献堂らの招きによって渡台し台湾人の地位向上のための組織・台湾同化会を設立。生涯に亘って尊皇を貫き、勤皇に尽くした姿から「幕末明治の大楠(だいなん)公(こう)〈楠木正成後醍醐天皇に尽くした武将〉」とも称され大日本国粋会の結成に影響を与えた。

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