ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第901話 隻腕の加波山将軍

序文・過激な自由民権運動

                               堀口尚次

 

 鯉沼九八郎(こいぬまくはちろう)嘉永5年 - 大正13年〉は、栃木県の政治家で自由民権運動。「隻腕(せきわん)の加波山(かばさん)将軍」の異名で知られる。

 下野(しもつけ)国都賀(つが)郡稲葉村〈現・栃木県下都賀郡壬生町〉の出身。壬生藩校に学んだ後、明治15年板垣退助らが結成した自由党に参加し、福島事件のすぐ後に栃木県大運動会〈自由党弾圧に対する抗議運動で、一万数千人が参加した〉の発起人になったことで全国に名を知られた。明治17年自由民権運動の弾圧者として著名であった栃木県令・三島通庸(みちつね)の暗殺計画に参加〈加波山事件〉。9月の新県庁の開庁式で爆殺することを目的として爆裂弾の作成を行うが、9月12日午後に爆薬調製中の事故で左手首から先を失い壬生町内の石崎病院へ運ばれた。

 加波山事件が失敗に終わった後、強盗殺人罪により起訴され、懲役15年の判決を受けた。この罪状および判決は、同事件が民権運動家による政治事件ではなく、爆裂弾を資金集めのための強盗目的と認定されたこと、および、怪我により事件の決起に直接の参加を行わなかったことによるものであった。

 なお、当事件で用いられた爆裂弾は、ロシアのテロリストのニコライ・キバリチッチが開発した手投げ弾により、ロシア皇帝であったアレクサンドル2世が爆殺されたことをロシア革命史で知った鯉沼が独自に開発したものであり、テロ爆弾としては日本史上初のものであった。そのため、事件のすぐ後の明治17年12月に爆発物取締罰則が制定されている。

 その後、明治19年から明治26年まで北海道空知監獄署にて服役。出所後、明治32年から明治44年まで栃木県県議会議員を務めた大正13年10月に死去、享年73。現在、出身地である栃木県下都賀郡壬生町に碑がある。

 隻腕とは、一方の腕を失った身体障害の状態をいう。だいたい、一口に隻腕といっても手首のみ喪失から肩まで全てを失った状態までを大まかにさすので、特に肘関節の有無によって障害の度合いはかなり異なる。類似する言葉に「片腕」が存在するが、こちらは差別用語であると言われるため、「隻腕」か「片方の腕」などという表現が推奨される。