ホリショウのあれこれ文筆庫

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第182話 風船爆弾 対 原子爆弾

序文・いずれも無差別爆撃兵器なのだ

                               堀口尚次

 

 風船爆弾とは、太平洋戦争において日本軍が開発・実戦投入した、気球に爆弾を搭載した無差別爆撃兵器である。

 戦果こそ僅少であったものの、ほぼ無誘導で、第二次世界大戦で用いられた兵器の到達距離としては最長であり、史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器である。

 実戦に用いられた兵器としても約7700km(茨城県からオレゴン州への概略大圏距離)は、発射地点から最遠地点への攻撃であった。 なお日本海軍の風船爆弾は「八号兵器」と呼称し、潜水艦に搭載してアメリカ大陸沿岸部まで進出、放球するという方式である。

 約9300発の放球のうち、アメリカ本土に到達したのは1000発前後と推定され(米西部防衛司令部参謀長W・H・ウィルバー代将の報告書要点抜粋から)、アメリカの記録では285発とされている。最も東に飛んだ記録としてミシガン州で2発が確認されている。アメリカの軍事評論家の調査(1951年)によれば、ミシガン州デトロイトまで到達した。1945年5月5日、オレゴン州ブライで木に引っかかっていた風船爆弾の不発弾に触れたピクニック中の民間人6人が爆死した例が確認されている唯一の戦果である。

 風船爆弾は、ジェット気流を利用し、気球に爆弾を乗せ、日本本土から直接アメリカ本土空襲を行うものであった。

 気球の直径は約10m、総重量は200kg。兵装は15kg爆弾1発と5kg焼夷弾 2発である。ジェット気流で安定的に米国本土に送るためには夜間の温度低下によって気球が落ちるのを防止する必要があった。これを解決するため、気圧計とバラスト投下装置が連動する装置を開発した。

 材質は楮製の和紙が使われ、接着剤には気密性が高く粘度が強いコンニャク糊が使用された。このためコンニャク芋が軍需品となったため食卓から姿を消した。楮の繊維が縦方向の大判に対し、小判の繊維を横方向にし網目状に組み合わせ、和紙を5層にしてコンニャク糊で貼り合わせ、乾燥させた後に、風船の表面に苛性ソーダ液を塗ってコンニャク糊を強化し、直径10mほどの和紙製の風船を作成した。気球を調査したアメリカ軍は、それが紙製であることはすぐに突きとめたものの、紙を張り合わせている接着剤が何であるかを特定することはできなかった。気球内には水素ガスを充填した。

 アメリカが原子爆弾を製造している時に、日本では風船爆弾を製造していたのだ。どちらも無差別爆撃兵器には違いないが、国力の差は歴然としている。

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