ホリショウのあれこれ文筆庫

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第734話 戦災孤児の理不尽な現実

序文・国家無責任の法理

                               堀口尚次

 

 

 NHKで「置き去りにされた子どもたち~沖縄戦争孤児の戦後~」を観た。孤児は米軍が創った孤児院に収容され、人口の1/4が戦死した沖縄では、戦後労働力不足から、生き残った島民にこの孤児たちを引き取らせる政策がとられた。

 「戦災孤児とは、戦争の結果、保護者を失った子供〈孤児〉全般を指す「戦争孤児」のうち、特に軍の攻撃等により両親を失った者を指す。日本では、第二次世界大戦による本土の空襲や、第二次世界大戦の出征先で戦死によって、生じた子供を指すことが多い。

 昭和20年に入り、日本本土への都市無差別爆撃が行われるようになり、両親・親戚などの保護者を失う子供が急増した。学童疎開中に、都市に住む家族が空襲で全滅して孤児になった子供も多い。同年8月15日も戦争終結後は、国外からの引き揚げた孤児らも含み社会問題化した。

 厚生省児童局企画課による「全国孤児一斉調査結果〈1948年2月1日現在〉」によれば、孤児の総数は123,511人、そのうち戦災孤児は28,248人、植民地占領地引揚孤児は11,351人であった。ただしこの調査は沖縄県の統計が含まれておらず、沖縄県の戦争孤児のピークは1,000人という報告もある

 当時の責任省庁だった厚生省は昭和20年に戦争孤児等保護対策要網を発表する。この要綱は日本の敗戦直前の「戦災遺児保護対策要綱案」を引き継いだものである。後者の要綱案の制定に際して、戦災孤児を「国児」と呼ぶこと、遺児保護機関の確立、国児訓の制定、国児登録の実施などが議論された。戦災孤児らの保護の方法として、1.個人家庭への保護委託2.養子縁組の斡旋3.集団保護の対策をとることとしたが、終戦直後の混乱期のため、実効性に乏しく、戦災孤児らは未成年の兄弟だけで、あるいは同じ境遇の者と徒党を組んで生活せざるを得なかった。

 番組では、沖縄の戦災孤児の生活保障訴訟について取り上げていたが、「国家無責任の法理」や「戦争被害受忍論」などが立ちはだかり、訴訟は敗訴となっている。現在のウクライナでもそうだが、戦争とは末端の国民の心の奥深くに禍根を残すものだ。為政者は、常にこのことを念頭に置かなければならない。