ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第335話 常念狸塚

序文・散策から探索へ

                               堀口尚次

 

 先日愛知県弥富市を散策し、お寺・お堂・神社・祠・史跡・石碑等を訪ね歩いた時に、意味不明な石碑を発見した。一つは個人宅っぽい敷地の道路に面した位置にあり「常念狸塚」と刻まれていた。お寺や神社の敷地でもないので何かのいわれがあるはずだろう思った。もう一つは、小さな稲荷神社の一角にあり「明浄〇※最後の文字が解読不明?」と刻まれたものだった。

 自宅に帰ってから早速インターネットで調べるが一向にわからないではないか。弥富市の史跡一覧などかなり調査したがどうしてもわからないので困っていると、弥富市のホームページの中にインターネットによる「質問コーナー」なるものを発見、しかも「どうぞお気軽にお問い合わせください」とあるではないか。私は迷うことなく画像添付で二つの石碑の由来を質問投稿した。

 2~3週間してもなんの回答もこないので諦めていたら、約一か月した頃に返信メールがきた。それは市役所から転送された弥富市歴史民俗資料館からのもので、「常念狸塚」は地元の言い伝えに由来し、その書籍のコピーを添付して戴いた。それによると、この石碑は服部さん宅の門前にあり、服部さんが朝夕花のお供えやご供養をされているとのこと。服部さん曰く「昔この辺りは小川が流れ竹藪がいっぱいあり狸も住んでいたが、祖父達がいたずら大狸に罠をかけて生け捕りにし、肉鍋にして食べてしまった。ところがその連中の家に色々の凶事が次から次えと起こり、私の家でも借金が戻らないなどの困ったことばかりが起きました。心配して寺の和尚さんに相談したら『これは狸の祟りだ』と供養を勧められた。そこで私の祖父が施主頭となって自分の屋敷角に塚を築いたということです。今日まで狸を常念して供養しているのです。」ということでした。因みに「常念」という言葉は辞書になく、「常念仏=絶え間なく念仏を唱える」の意味合いの解釈でいいのだろうか。

 もう一つの「明浄〇」の石碑に関しては、稲荷神社の敷地内と思いきや、隣接する個人宅の敷地内のもので歴史民俗資料館の見解でも不明とのことだったが、「明浄(めいじょう)=澄みきっていて、清らかであること」この言葉の意味から、なんらかのいわれがあるんではないかとのことでした。

 気まま散策から、なぞの石碑探索となる有意義なものでした。これもひとえに弥富市や歴史民俗資料館の方々のご親切な対応のお陰と感謝して止みません。