ホリショウのあれこれ文筆庫

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第334話 徳川家康の古巣をたどる

序文・厭離穢土 欣求浄土

                               堀口尚次

 

 5月17日㈫に、愛知県岡崎方面へ一人旅ドライブに出かけた。第一目的地の大樹寺は、岡崎市鴨田町にある浄土宗の古刹で、徳川氏〈松平氏〉の菩提寺であり、歴代当主の墓や歴代将軍の位牌が安置されている。

 寺の言い伝えによれば、永禄3年桶狭間の戦いで総大将義元を失った今川軍は潰走(かいそう)〈敗走〉、拠点の大高城で織田方の水野信元の使者からの義元討死の報を聞いた松平元康〈徳川家康〉は、追手を逃れて手勢18名とともに当寺に逃げ込んだ。しかしついに寺を囲んだ追撃の前に絶望した元康は、先祖の松平八代前で自害して果てる決意を固め、第13代住職登誉天室(とうよてんしつ)に告げた。しかし登誉は問答の末厭離穢土(おんりえど) 欣求浄土(ごんぐじょうど)の教え穢れた世の中は清浄な世の中に変えなくてはならないを説いて諭した。これによって元康は、生き延びる決意を固めた。元康は奮起し、教えを書した旗を立て、およそ500人の寺僧とともに奮戦し郎党を退散させた。以来、家康はこの言葉を馬印として掲げるようになる。こうして元康は、今川軍の元での城代山田景隆が打ち捨てて空城となった古巣の岡崎城にたどりついたとされる。

 大樹寺は、本堂・山門・鐘楼などがあり、多宝塔は重要文化財に指定されている。寺院駐車に売店があり、関東煮を美味しく頂きました。その後すぐ近くの鴨田天満宮に立ち寄り参拝をすませ、次の目的地に向かった。

 続いて訪れたのは、近くのにある岡崎城である。岡崎城は家康の祖父である松平清康が入城し本格的な城を構えたとされる由緒あるお城だ。家康はこの岡崎城内で誕生したといわれている。そのことから岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、歴代譜代大名が城主となり、大名は岡崎城主になることを誇りとしたと伝えられる。

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」は、徳川家康遺訓の冒頭の一節であるが、重い荷を背負って長い道のりを歩み続けるように、人生は苦労の連続なので忍耐が大切ということ。まさに私の人生そのもの。

 大樹寺で一度は死を覚悟した家康が、「厭離穢土 欣求浄土」の教えで諭されて、この言葉を馬印として入城したのが岡崎城。今回は、戦国の世に終止符を付けた大武将・徳川家康の古巣を訪ねた歴史ロマンの一人旅となった。