ホリショウのあれこれ文筆庫

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第339話 静御前の伝説

序文・謎が多い白拍子

                               堀口尚次

 

 静御前〈生没年不詳〉は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性白拍子。母は白拍子の磯禅師。源義経の妾

 『吾妻鏡』によれば、源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。吉野で義経と別れ京へ戻った。しかし途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。

 静は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。静は、義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は「女子なら助けるが、男子なら殺すように」と命じる。静は男子を産んだ。頼朝の家来が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。磯禅師が赤子を取り上げて家来に渡し、赤子は由比ガ浜に沈められた。その後、静と磯禅師は京に帰された。憐れんだ政子と大姫〈頼朝と政子の長女〉が多くの重宝を持たせたという。その後の消息は不明。

 『義経記』によると、日照りが続いたので、後白河法皇神泉苑の池で100人の僧に読経させたが効験がなかったので、100人の容顔美麗な白拍子に舞わせ雨を祈らせた。99人まで効験がなかったが、静が舞うとたちまち黒雲が現れ、3日間雨が降り続いた。静は法皇から「日本一」の宣旨を賜った。また法皇は、静を見て「カノ者ハ神ノ子カ?」と感嘆したと言う。その後、住吉での雨乞いの時に、静を見初めた義経が召して妾にしたという。

 静の死については諸々の伝承があるが、はっきりしたものはない。自殺説〈姫川への投身、由比ヶ浜への入水など〉や旅先での客死説〈逃亡した義経を追ったものの、うら若き身ひとつでの移動の無理がたたったというもの。静終焉の地については諸説ある〉など列挙すればきりがないが、いずれにせよまだ若年のうちに逝去したとする説が多い。

 それにしても静御前の息子にしろ、八重姫の息子にしろ、木曾義仲の息子にしろ、弟である義経にしろ、頼朝の残虐性は徹底していて恐ろしいものだ。