ホリショウのあれこれ文筆庫

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第360話 闇深ければ暁近し

序文・心に刃を立てて忍ぶ

                               堀口尚次

 

 だいぶ昔に、「朝まで生テレビ」で公明党の議員が討論中に「闇深ければ暁(あかつき)近し・・・」と言って、司会の田原総一朗から「そんな呑気なこと言ってる場合じゃない!」と突っ込まれていたのを思い出した。

 この言葉は、創価学会池田大作の著書・人間革命に出てくようだが、「困難が大きければ大きい程、その困難からの出口に近づいているということ」を意味するようで、何事も諦めたら御終いであり、逆境に打ち勝ってこそ道は開けるもの的に私は解釈した。実際の著書には『いざ困難に出くわし、窮地に立たされると、“もう駄目だ”とあきらめてしまう。しかし、実は、困難の度が深まれば深まるほど、もう少しで、それを乗り越えられるところまできているんです。闇が深ければ深いほど、暁は近い』と書かれているようだ。

 また山岡荘八歴史小説徳川家康」には『人生には又は、この世の中では、非常に諸問題が多すぎます。しかし、一つ一つ解決して行くごとに、人間は偉くなるし、成長し出来あがって行くのです。自分の身の回りの出来事を、何もしないで避けるような事を常に心がけている人は、人間として成長を妨げていることなのです。「闇深ければ、暁近し」なのです。』と書かれている。

 広宣流布(こうせんるふ)は、法華経の教えを広く宣(の)べて流布すること。日蓮系各派では、この語を「日蓮(自派)の教えを広める」という意味で用いている 。創価学会池田大作・名誉会長は、日蓮上人の教えを実践すべく、広宣流布を通じて深い闇の中でもがき苦しんでいる人々を折伏(しゃくぶく)悪人・悪法を打ち砕き迷いを覚まさせることし、暁の方向へ導いて行ったのだろうか。

 しかし実際には、そう簡単なことではなく、深い闇の真っ只中にいる本人は、

うちしおれており、出口の暁などかけらも見つけられないものだ。出口の暁は見えれいるのに見つけられないのだ。「うろうろする」という言葉があるが、仏教では「有漏有漏する」と書く。「漏」とは心の汚れを表し、広い意味での煩悩をさす。煩悩に惑わされている様子を有漏有漏するというそうだ。

 人間には煩悩があって当たり前。煩悩がなければ深い闇に迷い込むこともなく、光明の暁もあらわれないのだ。

 私は、折伏される前に、自らの力で迷いを断ち切り暁を見つけたいと思っている。自分自身の心に刃を立てて、克己(こっき)の精神を養いたい。

日蓮上人の法難の絵図