ホリショウのあれこれ文筆庫

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第495話 毘沙門天

序文・神仏習合

                               堀口尚次

 

 毘沙門天(びしゃもんてん)は、仏教における天部の仏神で、持国天増長天広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神である。多聞天(たもんてん)または北方天とも呼ばれる。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。種子(しゅじ)〈呪文〉はベイ。日本においては、「五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、長命長寿、立身出世」といった、現世利益を授ける七福神の一柱として信仰されている。

 日本では四天王の一尊として造像安置する場合は多聞天、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代鞍馬寺である。福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒天にならぶ人気を誇るようになる。室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。

 毘沙門天の姿には三昧耶形(さんまやぎょう)密教に於いて仏を表す象徴物宝棒仏敵を打ち据える護法の棍棒(こんぼう)宝塔であるという他には、はっきりした規定はなく、様々な表現がある。日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多い。例えば密教両界曼荼羅(まんだら)では甲冑に身を固めて右手は宝棒、左手は宝塔を捧げ持つ姿で描かれる。ただし、東大寺戒壇堂の四天王像では右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握る姿で造像されている。奈良當麻寺でも同様に右手で宝塔を捧げ持っている。ほかに三叉戟(さんさげき)〈三つの穂をもつ槍〉を持つ造形例もあり、例えば京都・三室寺像などは宝塔を持たず片手を腰に当て片手に三叉戟を持つ姿である。

 刀八(とうはち)毘沙門天は、毘沙門天信仰の内に発祥した異形像である。戦国武将の守り本尊として祀られるケースが多い。戦国武将の上杉謙信は、刀八毘沙門の旗を掲げていた。また、密教においては十二天の一尊で北方を守護するとされる。十二天は、仏教の護法善神である「天部」の諸尊12種の総称である。密教では四天王とともに重視されている。寅さんで有名な東京葛飾柴又の帝釈天が有名。

 私は過日、近所のの山門に祀られている色彩鮮やかな木彫りの「多聞天」と愛知県名古屋市緑区の熊野社裏山にある「毘沙門天」の石像を訪れ参拝した。