ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第589話 網走刑務所

序文・さいはての監獄の成り立ち

                               堀口尚次

 

 網走刑務所は、法務局矯正局札幌矯正管区に属する刑務所。収容分類級B〈再犯者・暴力団構成員で執行刑期10年以下〉の受刑者の短期収容を目的とする刑事施設。日本最北端の刑務所で、網走川の河口近く、三眺山の東側に位置する。

 明治維新後の日本は、内乱による国事犯や政治犯が続出したため、監獄は過剰拘禁となっていた。同時に、「富国強兵」を掲げて西洋列強と肩を並べるためやロシア帝国による脅威を防ぐためには蝦夷地の開拓が重要であった。

 そこで、明治14年に「監獄則」改正を行って徒刑、流刑、懲役刑12年以上の者を拘禁する集治監を北海道に設置し、囚人を労働力として使役させて北海道の防衛と開拓を進める政策を執った。また、刑を終えた後は北海道に住み着いてくれれば良いという考えもあった。

 明治23年、中央道路の開削工事を行うため、釧路集治監から網走に囚徒を大移動させて開設。発足時の囚人数は1,392人でその3割以上が無期懲役であり、ほかの囚人も刑期12年以上の重罪人であった。中央道路工事は、明治24年のわずか1年間で、網走から北見峠まで約160kmが開通しており、完成した時には226kmが開通した。過酷な労働条件による怪我や栄養失調が続出し、死者は200人以上となった。

 明治27年に、囚人使役は「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と国会で追及されるまでの社会問題となり廃止されたが、民間人や外国人などによる「タコ部屋労働」は大正昭和になっても続いた

 網走の発展は、刑務所設置に大きく関わっているが、以前は地元にとって刑務所は決して好ましいイメージではなく、戦時中には刑務所名変更の請願を網走町が提出している。これは、衆議院を通過したものの貴族院では不採択となり、網走刑務所の名は存続することになった。

 戦後、高度経済成長期になると、高倉健主演の映画『網走番外地』シリーズの人気により、網走刑務所は全国区の観光名所となった。昭和58年には、網走刑務所の全面改築工事に伴い、旧刑務所の教誨(きょうかい)堂、獄舎などを移築復原した博物館網走監獄が天都山中腹に開館し、観光名所になっている。