ホリショウのあれこれ文筆庫

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第655話 オート三輪ジャイアントの歴史

序文・子供の頃見た記憶あり

                               堀口尚次

 

 オート三輪は、三輪自動車貨物自動車である三輪トラックを指す。日本で用いられる呼称。軽便・安価で、積載力があり悪路に強く、小回りが利くという特性から、日本では昭和5年代から昭和25年代に隆盛を極めたが、その後、より価格性能比に勝る四輪トラックの登場により取って代わられ衰退した。「オート三輪」の呼称は、自走式、つまりエンジン式付き三輪車の意味で、日本で三輪車の多数派であったトラック、ないしは、その派生形の貨物車を指す語として定着している。

 ヂャイアントは、名古屋市熱田区に本社を置く日産自動車グループの愛知機械工業が昭和22年から昭和35年まで製造したオート三輪トラックの自社ブランド。ブランド自体の発足は昭和6年と古い。オート三輪業界でもいち早い水冷エンジンの採用、丸ハンドルや水平対向エンジンの導入、ベンチシート式密閉キャビン車の市販化など、技術面で他社に先駆けた特徴を備えていたが、4輪トラック主流化の時流に乗れず、最終的に愛知機械工業は軽トラックの生産に移行した。

 「ヂャイアント」ブランドのオート三輪は、名古屋市で自動車部品販売を営んでいた中野嘉四郎が昭和6年に「ヂャイアントナカノモータース」を設立、スイスのMAG社製の空冷単気筒500ccエンジンを搭載したオート三輪トラックとして製造を開始したのが起源である。太平洋戦争終戦後、愛知航空機株式会社〈愛知機械の前身で、後に愛知起業株式会社に社名変更〉は民生部門への転換手段を求めていたが、協力工場の中に帝国精機産業名古屋工場が含まれ、これが縁となってヂャイアント号オート三輪の製造販売権を譲り受ける事に成功、以降愛知起業が製造・販売を行った。ヂャイアントは、オート三輪業界において特に進んだ設計を採り入れ続けたが、ハイスペックなだけに製造面でも高コストなこと、業界上位のダイハツ工業東洋工業マツダ〉・三菱〈みずしま号・三菱号〉が同様な新技術で追随してくると、それらに比較して販売網が強力でなかったことが足かせとなって業界上位に登ることはできず、1950年代後期に小型トラック業界でオート三輪に代わって4輪トラックが主流になってからは販売が大きく落ち込んだため、1960年に生産を打ち切った。