ホリショウのあれこれ文筆庫

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第697話 小野田少尉はスパイ教育を受けていた

序文・情報将校

                               堀口尚次

 

 スパイは、政府や他の組織に雇われて、秘密裏に敵や競争相手の情報を得る人のこと。「spy」は、「espy 〈見つける、探し出す〉」と同じで、古期フランス語で 「espion〈見張る者〉」を意味しており、「espionnage 〈諜報:現代仏語〉」の語源。印欧語で「見る」を意味する語幹「Spek」に由来する。

 何らかの組織に雇われて、ひそかに敵国や競争相手の組織などの情報を得て、その情報を雇い主である組織に報告する者の総称である。別の言い方をすると諜報活動を行う者、インテリジェンスの役割を担う者の総称である。ひそかに得た情報を雇い主に知らせることや、また雇い主が「敵」や「競争相手」と見なしている組織の活動を阻害・撹乱することが主な任務とされる。政治・経済・軍事・科学・技術など多岐にわたる。

 日本では「スパイ」は主に敵側のそれを指し、味方の側のそれは主に「エージェント」と呼ぶ。日本語では、敵・味方を区別しない場合、工作員と呼ぶ。情報部員、諜報員、密偵、間諜(かんちょう)とも呼ばれる。古くは細作(さいさく)、間者(かんじゃ)とも呼ばれていた。海外で活動する者は国際探偵とも呼ばれた。

 中国の書物『孫子』では「用間(ようかん)」としてわざわざ一章が設けられており、離間工作の方法、敵の間者を二重スパイとして活用する反間(はんかん)などの手法が記されている。日本では戦国時代の忍者が該当しており、明治時代の一連の士族の反乱の初期から「スパイ」としての活動が行われていた。

 情報将校として太平洋戦争に従軍し遊撃戦〈ゲリラ戦〉を展開、第二次世界大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還した小野田寛郎は、主に遊撃戦の教育を受け〈他にも諜報・諜略・防諜・偽装・潜行・破壊などの特殊任務を叩き込まれた、退校命令を受領。その後、見習士官〈陸軍曹長〉を経て予備陸軍少尉に任官している。 

 尚、小野田は上官から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧(かじ)ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」と日本軍の戦陣訓を全否定する訓示を受けていた。