ホリショウのあれこれ文筆庫

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第979話 無政府主義者・大杉栄

序文・アナキズム

                               堀口尚次

 

 大杉栄明治18年 - 大正12年〉は、日本の無政府主義者、思想家、作家、シャーナリスト、翻訳家、社会運動家。自由恋愛主義者でもあった。

 名古屋陸軍地方幼年学校では武道に熱中するあまり学業の成績は良からぬ点があり、学校内では奔放な生活を送った。明治34年に在学僅か2年で退学処分となった。退学直前の成績は極端なもので、実科では主席、学科では次席であるにも関わらず、操行(そうこう)〈道徳的な面から見た普段の行い〉では最下位だった。

 軍隊生活の窮屈から解放された栄は父親の許しを得ずに文学を志すことを決め、明治35年に上京して順天中学校へ入学した。明治36年には東京外国語学校仏文科に入学した。幸徳秋水堺利彦の名もこの頃に知り、彼らの提唱する非戦論に共鳴して平民社〈非戦論を中核として結成された社会主義結社〉の結成を知ると訪れて講演会に参加したり、明治37年に開催された社会主義研究会に出席した。大杉は次第に社会主義に感化されて頻繁に平民社へ出入りした

 明治38年3月頃、平民社が発行していた週刊「平民新聞」の後継紙である「直言」に堺が書いた紹介記事によってエスペラントを知り、明治38年7月に東京外国語学校仏語学科選科を修了した。その後、翌年にかけて東京市本郷にある習性小学校にエスペラント学校を開校させ、明治39年3月には東京市内電車の運賃値上げに反対する市民大会に関与したとして兇徒聚集罪(きょうとしゅうしゅうざい)により逮捕されたが、6月に釈放された。しかし、同年11月には新聞に掲載された「新兵諸君に与ふ」が新聞紙条例違反で起訴され、これ以降は言論活動で社会主義運動に関わっていった。明治41年1月17日にはいわゆる屋上演説事件によって治安警察法違反容疑で逮捕された。同年6月22日には東京・神田にあった映画館「錦輝館」で発生した赤旗事件によって再び逮捕され、これまでの量刑も含んで2年6ヶ月にわたって千葉刑務所へ収容された。獄中ではさらに語学を学びながらアナキジムの本も多数読破した。明治43年9月には東京監獄に移されて秋水らの大逆事件に関連した取調べを受けるが11月に出所し、堺らと「売文社」を結成する。

 関東大震災から僅か2週間後の大正12年、自宅近くから妻の伊藤野枝、甥で6歳の橘宗一と共に憲兵特高課に連行され、憲兵隊司令部で憲兵大尉〈分隊長〉の甘粕正彦らによって殺害され、遺体が井戸に遺棄された。38歳没。