ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1064話 中島みゆきの祖父「中島武市」

序文・地元を忘れなかった

                               堀口尚次

 

 中島武市(ぶいち)明治30年 - 昭和53年〉は、日本の実業家・政治家。岐阜県本巣郡土貴野村〈現在:本巣市〉出身。岐阜市立岐阜商業学校〈現在の岐阜県立岐阜商業高等学校の前身〉卒業。シンガーソングライター中島みゆきは孫武市の長男の第一子

 実父は大垣藩士の家系の士族であったが早世し、母の再婚先の商家・中島家で育てられた。母の兄は初代大蔵次官を務めた男爵・郷純造。純造の次男が日商会頭の郷誠之介。武市と誠之助は従兄弟同士にあたる。「拓聖 依田勉三傳」に中島武の伝記も収録されている。

 幼少期は貧しく小学校卒業後に村役場で用務員を務めていたこともある。大正3年に岐阜商業学校を卒業した後、大阪の呉服問屋に丁稚奉公に出る。その後、名古屋の株屋を経て北海道に渡り、旭川で書店に勤める。その後帯広に移り、大正9年に「古着商中島商店」を開くが、間もなく屋号を「みつわ屋」と改める。大正10年頃に結婚、大正13年に長男・真一郎〈中島みゆきの父〉が生まれる。

 昭和11年に帯広商工会の副会頭になり、昭和14年には帯広市実業連合会長・十勝商工会連合会長に就任する。昭和17年には帯広市議会議員に当選した。昭和18年9月には帯広商工会議所会頭となる。

 戦後、昭和22年の第一回参議院議員通常選挙で北海道から日本自由党公認で立候補したが落選する。昭和34年には帯広市議会議員に返り咲き、昭和38年から帯広市議会議長を務める。昭和40年には全国市議会議長会常任理事、翌年には同代表監事に就任した。昭和53年に死去。

 昭和16年紺綬褒章を受章。昭和44年には岐阜県糸貫町の名誉町民第1号に認定された。帯広市にある中島公園は、武市が帯広開拓の功労者・依田勉三の功績を後世に遺す目的で銅像を寄贈した篤志を称えて、帯広市長が武市の名を公園名にしたものである。現在、武市の胸像が北海道の西本願寺帯広別院に建立されている。また、同様の銅像岐阜県本巣市早野の土貴野(ときの)神社脇にあり、台座には大野伴睦揮毫の「百折不撓(ひゃくせつふとう)」がある。また近くの光輪寺には、結核で亡くなった弟夫婦を偲び、結核撲滅を願って武市が建立した「夫婦地蔵」があり、以降この地域では結核患者がいなくなったという伝え話も残るという。