ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1101話 冠者・源義高と大姫の絆

序文・又従兄弟同士

                               堀口尚次

 

 源義高は、平安時代末期の河内源氏の流れを汲む信濃源氏の武将。清水冠者〈冠者とは元服して間もない若者〉と号す。木曾義高とも。源〈木曾〉義仲の嫡男。母は『尊卑文脈』では今井兼平の娘としているが、兼平は義仲と同年代の乳母子なので、義高の母は兼平の妹〈中原兼遠の娘〉と推定されている。

 寿永2年、挙兵した父・義仲は以仁王の遺児・北陸宮を奉じて信濃国を中心に勢力を広げ、同じ源氏の源頼朝とは独立した勢いを見せた。また頼朝と対立していた叔父の志田義広と新宮行家を庇護したことにより、3月には頼朝と義仲は武力衝突寸前となる。義仲が11歳の嫡子義高を人質として鎌倉へ差し出すことで、両者の和議が成立した

 義高信濃の名族の子弟である海野幸氏や望月重隆らを伴い、頼朝の長女・大姫の婿という名目で鎌倉へ下った〈なお、義高大姫は又従兄妹にあたる〉。同年7月、義仲は平氏を破って入京する。しかし義仲は京を治めることに失敗し、頼朝に寿永二年十月院旨を与えた後白河法皇とも対立する。義仲は後白河法皇法住寺合戦で打ち破り幽閉し、頼朝追討の院宣を出させる。頼朝は都に源範朝と源義経を代官とした義仲追討軍を派遣し、寿永3年、義仲は宇治川の戦いで追討軍に敗れ、粟津の戦いで討たれた。

 父・義仲が討たれたことにより、人質として鎌倉にいた義高の立場は悪化する。頼朝が義高を誅殺しようとしていることを知った大姫は、義高を密かに逃がそうとする義高と同年の側近で、いつも双六(すごろく)の相手をしていた幸氏が義高に成り代わり、義高は女房姿に扮して大姫の侍女達に囲まれ屋敷を抜けだし、大姫が手配した馬に乗って鎌倉を脱出する。しかし夜になって事が露見し、激怒した頼朝は幸氏を捕らえ、堀親家ら軍兵を派遣して義高を討ち取るよう命じた。義高武蔵国で追手に捕らえられ、入間河原で堀親家の郎党・藤内光澄に討たれた。享年12。義高の残党が甲斐と信濃に隠れ、謀反を企てているとして信濃国に大規模な軍兵の派遣が行われた。

 義高の死を知った大姫は嘆き悲しみ病床に伏してしまう。母の政子は義高を討ったために大姫が病になってしまったと怒り、義高を討った郎従の不始末のせいだと頼朝に強く迫り、藤内光澄は晒し首にされた。尚、大姫というのは長女を意味する通称であり、本名は一幡とする説があるが不明。